母の変化 3    2007・1・10

 新年になっても母の状態は相変わらずです。
 足が立たなくなったこと、認知症がすすんでいることは同じですが、食事の仕方やトイレは少し変わったと思います。
 病院では、食事は刻んだものを食べていましたが、うちに帰ってからは以前と全く同じものを食べています。つまり、私たち家族と同じものを食べるようになりました。水を飲むとコップ半分ぐらいこぼしてしまいましたが、現在は全くこぼさなくなりました。お箸も使えます。
 
 病院と変わらないのは、一つのことにこだわることです。病院では、私たちが行くと、口に指を当て「シー」っと言ってものをしゃべらせませんでした。口のそばに耳をやると「ここにいると殺されるよ。ものをしゃべっちゃいけない」と言っていましたが、帰ってからは「隣の部屋に爆弾が仕掛けられているから気をつけなければいけない」「ふすまを開けちゃいけないよ。風が入って火が燃えるから」「外でみんな縛られているから、逃がしてやってね」などと繰り返し言います。「そんなことはないよ。ふすまを開けてみるから爆弾なんかないことを自分で確かめてみたらいいだろう」などといって襖を開けたりすると大変機嫌が悪くなります。
 
 爆弾のことを言い始めると数日間、顔を見るたびに「危ないからみんなを逃がしてくれ」と言い続けます。今言ったことを繰り返し言われますので、こちらは疲れてしまいます。病気だから仕方ないと思ってはいても、言われると、つい「そんなことはないに決まってるじゃないか。自分のうちに爆弾を仕掛ける馬鹿はいないよ」などと言い返してしまい、あとで「馬鹿なことをいってしまったなあ」などと反省しています。

 外部の人に対しては大変警戒心を持っています。介護支援に来てくれる介護士さんが来ると、物も言わず身体を硬くしています。挨拶されても返事をしません。動作も反抗的です。それでも介護士さんはニコニコしながら「ご気分はどうですか。今日は着替えをしましょう」などとくり返すのですが、身体を硬くして着替えを拒みます。

 こんな様子でいたと思うと、食事になると「ああおいしい。私にこんなに良くしてくれるなんて思わなかった。私はなんて馬鹿だったんだろう。」といって泪をこぼさんばかりです。

 こんな様子でしたのでデイサービスに行くことができるのか心配でしたが、ケアマネジャー・介護士・施設の責任者を交えて相談し、思い切って1日行ってみよう、と言うことになりました。

 介護施設は旧長野市にあるので往復に時間がかかります。当初、腰が痛いと言っていましたので、無理かと思ったのですが、腰の痛みがとれたので可能性が出てきました。それだけでなく、施設でも無理だと思った単独送迎をしてくださることになったので、車椅子に乗って行くことにしました。
 お迎えが8時20分だと言うので最初の日はてんてこ舞いでしたが、何とか送り出すことができました。 1日目が無事終り、様子を聞いてみると「思ったよりしっかりされていました」とのことで、これなら続けられそうだと安心しました。

 ところが、3回目ごろから、帰ってくると機嫌が悪くなり「今日、またあそこに行かなきゃいけないのかいさ?」というのです。「いや、今日は行かないよ」というと「ああ、良かった」といって眠ります。おきるとすぐに「また今日もいくのかい?」と聞き「行かないよ」と言うとまた、安心したかのように眠りました。
 この様子を見て私たちは「施設へいって疲れてくるのだろう。機嫌の悪いのはそのせいだ」と思っていたのですが、施設の方と話してみると、施設での様子は私たちが想像していたのとはずいぶん違っていました。

 施設内ではとても機嫌がよく笑顔のときが増えたそうです。足もかなりしっかりして支えがあれば一人でトイレに入れるようになったそうです。以前から入所していた顔見知りには話しかけたということでした。
このことを知ったときは本当にびっくりしました。

 機嫌よく、楽しそうに過ごしていた母が、どうして「行きたくない」と言うのだろうか、よく理解できないのですが、あるいは施設に行くと緊張し気を張っているのかもしれません。
 私は、現在の様子を見ながら、「この緊張は母にとって、良いことなのかもしれない」と思い始めています。家の中では寝ることと食べることと、排泄すること以外、することがないので、ベッドで横になりうつらうつらとしているだけです。疲れないけれど、刺激はありません。それよりは施設に行って刺激ある生活をするほうが自分を若返らせるのではないかと思い、デイサービスを受けることにしました。


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