病院と介護施設       2007年3月28日

 母の入院と退院、介護施設への入所と家庭での介護を経験する中でさまざまな経験をし、多くの感想を持ちました。

 既に書いたように、入院中はあれほど妄想にとり付かれ、私たちとも話をせず、周囲に敵意を持っていた母が、退院後このように回復したのはなぜだろうと考えてみました。

 S病院に入院中、小諸の叔父が見舞いに来て「この病院は小諸の病院よりいい病院だ」と、繰り返し私に言いました。廊下が広い、明るい、看護婦さんが丁寧に応対しているなどがその理由でした。廊下の広さや室内の明るさは施設の出来た時期や金のかけ方で違ってきますが、看護士さんの対応は、人の問題であり、どこの病院にも共通することなので詳しく聞いてみました。小諸の病院は看護士さんの患者への対応が不親切で機械的だというのです。「患者を人間としてみていない、まるでモノを扱っているようなのだ」と怒りながら話していました。これを聞きながら、S病院の患者への対応はかなり丁寧であることがわかりました。

 母の入院中私は20回ほど病院に通いました。診察への立会い、手術の立会い、医者との連絡、着替えの運搬などでした。そのなかでいろいろなことを見たり、聞いたり、聞かされたりしました。

 母は手術を嫌がりました。手術の前に神経を落ち着かせる注射をすることになっていたようで、看護士さんが来て「お注射をしましょうね」と言ったところ「注射はしません」と強固に言い張って注射をさせませんでした。私も一緒になって説得しましたが「死んでもいいから注射は嫌だ」と言い張りました。これまで母はこんなことを言ったことは一度もありません。

 手術の時刻は迫り、女医さんも応援に来て一緒に説得しましたが頑として聞き入れません。私も必死で説得した結果、しぶしぶ注射をさせました。このときの母はよほど切羽詰った気持ちになっていたに違いありません。その気持ちを私も看護士さんも十分理解できませんでした。
 そのことがそれ以後の母の態度の元にあったような気がします。

 手術後の最初の夜も翌日も、母は夜中に大声を出して周りの患者さんに迷惑をかけたそうです。そのため、部屋から外に連れ出したり、別室で寝かせたりしたと後から聞きました。点滴の針を抜いてしまうので、腕を固定したりからだを固定したこともあるようでした。このことを聞いたとき私は「大声を出したりして看護士さんは困っただろうな」とは思いましたが、なぜ、そのような行動をとったのかについては考えませんでした。

 母が食事を取っているところに行ったことが2〜3回あります。母は車椅子に座って食堂のテーブルに向かって食べていました。食べ終り茶碗のお茶を飲むのですが半分ほどは胸元にこぼしてしまい、胸元はびしょびしょになりました。
看護士さんは口と胸元を拭いてくれたのですが、肌着はびっしょりです。車椅子に座った母はそのまま部屋に行き寝かされました。看護士さんは母を寝かせるとすぐに次の仕事に移動していきました。肌着の替えはありましたがそのままでした。

 次に行った時は、隣で同じような患者さんが食べていましたが、食事の内容は違っていました。母は刻みモノの食事でしたが、隣で食べている患者さんは普通食のようでした。
 母は隣の食事を見て「私のところに葡萄がない」と不満そうに訴えました。看護士さんは「こちらの患者さんとは食事が違うので葡萄はありませんよ」と言って、食べ終わったお膳を黙って片付けました。隣の患者さんのお膳もさっと運んでいきました。この様子を見て「もうちょっと丁寧に説明してくれたらありがたいな」と思いました。片付けるときも「おいしかったですか」ぐらいの声かけがあるとずいぶん和むように思いました。お茶や汁をこぼすのは全く変わりありませんでした。

 洗濯物は毎日取りに行きましたが、パジャマや肌着の胸元からおなかにかけて茶色に染まっているのが気になりました。汁物やお茶を飲むたびに半分は胸元にこぼしていましたから茶色に染まるのです。そのことはわかっていましたが、胸元がぬれたままベッドに寝かされていることが気になりました。「風邪を引かないだろうか」「気持ち悪いだろうな」などと思ったのですが、専門家がそのままにしているのだから口出しはしないほうがいいのかと思い、黙っていました。

 私が母の状態を聞くと、看護士さんはどなたも丁寧に答えてくれました。母の様子や食事内容、リハビリについて丁寧に話してくれました。しかし、どの看護士さんも忙しそうに歩いているので、あまり声を掛けないようにしていました。私たちとおしゃべりをする閑などとても無いように見えました。話も最低必要な要件のみでした。

 いつ行っても、看護士さんが忙しそうなのがとても気になりました。

 退院して家に帰って食事になりました。母は「パンが食べたい」とくり返したので最初の食事はパンにしました。入院前、母は毎日朝食にパンを食べていましたし、それが気に入っていました。病院では多分刻みモノの食事でしたからパンが食べられなかったのでしょう。

 パンと紅茶、ジャム入りのヨーグルト、花豆など、うちでは定番の食事をだすと「ああ、おいしそう」と言って食べ始めました。病院と同じようにスプーンをつけたのですが、お箸も一緒に出したところ、箸も使って食べました。紅茶をこぼすかと気遣って、前掛をかけたのですが、一滴もこぼさず全部飲んでしまったのにはびっくりしました。パンやヨーグルトもすべて食べてしまいました。掛けた前掛は全く汚れずきれいなままでした。

 母の今後のことについてケアマネージャーの方と話し合い、以前通っていた施設に入所することにしました。ただ、腰を痛めていたので通所できるかが心配でした。1日目は不安に思いながら送り出したのですが、施設からの連絡帳を読んでみると、思った以上元気で問題ないとのことでした。退院後初めて施設(ノーマライ)に行った日には、所員の皆さんが次々にやってきて話しかけてくれたようです。皆さんに声をかけられる中で、母は急速に回復に向かい、所員だけでなく、以前から入所していた仲間の顔を思い出し、話を始めたという報告を受け感激しました。

 介護施設の皆さんや介護士さんの接し方を見ると、病院での医師や看護士さんの接し方と全く違っていることがわかりました。病院の看護士さんやお医者さんは「患者を診てあげる」という接し方なのに対し介護施設や介護士さんは「入所者を介護させていただいている」という接し方でした。

 退院当初は自分に触ることを拒否していた母は介護士さんや介護施設の皆さんに親切に接してもらう中で、1ヶ月後には介護士さんに「ありがとう」と言うようになり、自分から話しかけるように変化しました。

 このような母の姿を見ながら、たとえ不自由な老人や患者であっても、人として扱われることがいかに大切であるかを認識させられています。介護施設に働く人たちは病院で働いているひとと比べ恐らく賃金も低いはずですが、身体・心の不自由な人への対応と言う点に関しては、はるかに高い水準に達しているように思いました。


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