歌集「母のことばの」近藤光子著       07年5月26日


 先日近藤光子さんに歌集「母のことばの」を戴いた。

 美術館のチャイムが鳴ったので出てみると、立派な紳士が入って見えて「近藤光子の亭主ですが、家内が歌集を作りましたので進呈したいと思いまして伺いました」と言って紙袋に入った歌集を戴いた。早速開けてみると一冊の美しい本が現れた。題は中央に「母乃ことばの」と筆で書かれており、青い波紋のような水色の線が何本か横に引かれ、すっきりと美しかった。


 近藤光子さんといえば、数年前「近藤芳美・ケーテコルヴィッツ、書と版画展」の際お世話になった方で、海野弘子さんとともに朝日新聞や信濃毎日紙上の短歌欄に毎回のように投稿されている歌人である。私は短歌については何も知らないが、礼状を出すには読まなければならないと思いページを開いて読み始めた。

 一ページに二首しか書かれていないのですぐに読めると思ったのだが、書かれていることばや植物の名前、寺院の名前などがわからない。主題がわからないのではどうしようもない。

第一首は次の歌だった。

     岐路いくつ越えてきたるか定かならず風に押さるる鞦韆にあり

 第一首目の歌からもうわからないではないか。「鞦韆にあり」とは何のことだかわからない。辞書を引いて調べようと思ったが、大変な時間と労力が必要になりそうなので、インターネットで調べてみた。「案ずるより生むがやすし」で、予想以上うまくいった。最初に「鞦韆」を検索すると下記のような説明があった。

ぶらんこのこと。

 鞦韆、というムツカシイ名前は中国から来たものです。更に辿ると中国北方の風俗から発しているといわれています。それが紀元前7世紀頃、斉の桓公が北伐を行った時に用いられ、流行したと言われています。

 唐の玄宗皇帝は鞦韆に「半仙戯」という名を与えました。ぶらんこの浮遊感を羽化登仙もかくや、との感からつけたものでしょう。

 同時代には春の風景と鞦韆を詠み込んだ作が多く見られます。

   春宵一刻値千金

   花有清香月有陰

   歌管楼台声寂々

   鞦韆院落夜沈々

 蘇東坡の春夜の詩です。昼間は美女たちが裳裾を翻し乍ら楽しんだ鞦韆。それが夜の更けた今は乗るものもなく、ただしんと静まり返る、そこに詩境を見い出したものです。

 日本では鞦韆に「由佐波利(ゆさはり)」と和訓をつけたものが見られます。「ゆさはり」、つまり揺さぶり、揺すれる、という鞦韆の動きから付けられた名でしょう。


 生きてきた自分の人生を振り返ってみると何本もの分かれ道を選んできた。あっちへ行ったりこっちへ戻ったり、まるでブランコに乗っているようだった、とでもいうのだろうか。確固とした歩みではなく、いろいろと迷いながら歩んできたことがわかり、思わず自分を振り返ってしまった。


   土曜日はイタリアン 村に好みの店あらばペスカトーレにワインを添えむ

 酒を飲まない代わり食べることの大好きな私は、こういう歌を見るとすぐに「好みの店」はどこだろう?と思ってしまう。松代にイタリア料理のうまい店があるのなら是非行ってみたいものだ。松代でイタリア料理を出すと言えばもしや「公園のベンチ」かな、などと思いながら読んだのがこの歌だ。

    終章の愛のアリアに涙して虔しみおりぬマタイ受難曲
    ラフマニノフの協奏曲の沁む日なり母の揺り寝のごとき木漏日
    生涯にたった一度の買い物とルオーの「ミゼレーレ」かたわらに置く
    「ヴロニカ」のひとみは聖し節の間をルオーと過ごす静謐の夜
    青き空にシャガールの馬奔らせて春に出会いの始まる予感
   ブルックナーの韻きは重し薄幸の子らを教えて尽くせずにいる
   コルヴィッツの「陵辱」を掛け若き日に受けし拷問語る君の目


 この歌集は、音楽や絵画が数多く登場するのがひとつの特徴だ。バッハの「マタイ受難曲」「ラフマニノフ」の協奏曲、ルオーの「ヴェロニカ」「ミゼレーレ」、シャガールの馬、コルヴィッツの「陵辱」、ミケランジェロの「ピエタ」など、私も大好きな絵画や曲が登場するので、イメージしながら短歌を楽んだ。
 ミケランジェロのピエタには有名な2体(下図)があるが、どちらのピエタなのだろう。コルヴィッツにもピエタの彫刻があるが、左の作品に似ている。私は右の作品をすごいと思っている。
 マタイ受難曲はバッハの最も素晴らしい曲で、この曲についてはいくつもの思い出がある。県民文化会館が出来たてのとき、ドイツのオーケストラと歌い手がきて2時間以上かかるこの曲の全曲演奏したのを聴いて感動したときのこと。版画家磯見輝夫さんにこの曲の感想を書いたことなどは忘れられない思い出である。
 「生涯にたった一度の買い物」をした近藤さんの深い思いは私と共通する部分が多い。ルオーのヴェロニカも私が中学・高校時代複製を壁にかけ続けた作品で思い出が詰まっている。
 コルヴィッツの「陵辱」は若き日に拷問を受けた思い出を語る近藤芳美氏の目と作品の迫力が二重になって著者の心を捉えたのではないだろうか。
  

 音楽や絵画だけでなく、世界や日本の旅の風景がうたわれているのもこの歌集の特徴である。

     沼田屋のモデルとなりし蝋燭屋の老舗そこのみ人だかりせる

 沼田屋はNHK連続ドラマ「さくら」に登場した蝋燭屋のことでしょうか。旅をしながらも「そこのみ人だかりせる」と、自分の目で風景を見直していることに共感した。

 同じことをもっと端的に読んだ歌が以下の歌だが、インターネットで調べてみて「なるほど」と驚いた。
下の歌の「商魂」は歌を読んだだけではよくわからなかったのだが、インターネットを開いてみてそのすごさに唖然とした。白心法師もこの光景には驚いているのではないだろうか。

       霊水をポリタンクにて売りさばく越中穴の谷の商魂

穴の谷霊場
穴の谷霊場



富山地方鉄道上市駅から北東へ約 6Km、黒川地区の丘陵地を登ったところに穴の谷霊場があります。
江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られました。
参道から約30m階段を下った谷間に石像の薬師観音堂があり、そこにまつられた薬師如来像右横から湧き出る清水は、環境庁選定「全国名水百選」の一つです。
また、霊水として古来から難病に効くといわれ、全国から多くの人が訪れます。不治の病が治った例は全国に限り無く、日々参拝者が絶えることはありません。

由来
”難病に苦しむ母を助けたくて”名医にも見放された手足が、ホラこんなに動くようになって、そのお礼に・・・・・霊水を飲むようになってからは家内中元気で・・・・・と内外から集まる善男善女が、長い列をつくる。ここ富山県中新川郡上市町の黒川『穴の谷霊場』。
 その由来は、そして霊水とは・・・・・。
 昔、この洞窟に嘉永4年美濃国の白心法師がこの穴にて3年3ヶ月修行せられており、諸国からその法を聞き参詣人も多くなったと伝えられる。
 爾後、この穴での修行僧は数多く、近年では明治30年、能登の霊外悟道禅師が3年修行して、真の解脱を得た。このころから『行者穴』ともいう。また、昭和32年には広島の岡本弘真という女行者が訪れ、6ヶ年修行して「この穴の水は入巧徳水だ、病に苦しむ人に飲ませて欲しいとのお告げがあった」と遺言して去った。上市駅から町道広野新・女川線(スパー農道)を走り15分、ここ黒川集落から穴の谷までの参道には、三十三の観音像が並び、各行者をしのぶ碑などが多いことからも、古来からの霊場であることがわかる。穴の谷の砂岩と粘板岩でできた三つの洞窟からなり、第一の洞窟の正面に薬師如来の石仏をまつり、その右横から清水が年中つきることなく湧き出ている。
 この霊水こそ、即ち『穴の谷の霊水』なのである。
 霊水に群がる善男善女は、『薬師如来に病気平癒を一心に祈願して霊水を口に運ぶ』。
 不治の病いが治った例は全国に限りなく、日々参詣者の耐えることがない『穴の谷霊場』の由来である。

 インターネットでわかったことは無数にあるが、次の歌などもインターネットに助けられた。

      蒸気時計をバンクーバーに見しことを思い出すまま回す地球儀

 この歌は「蒸気時計」がわからなくては何のことだか見当がつかなかったのだが、インターネットの助けを借りてよく理解できた。確かに蒸気が吹き出ている。

蒸気時計
 カナダ・バンクーバーのギャスタウンにある蒸気時計。
 毎正時に「ボーッ!」と蒸気を上げて時を告げます。午後8時の時報です。
 珍しくて皆、見上げています。
ボーッと蒸気を吹き上げて

 このようにして一つ一つの歌の中の単語を字引やインターネットの力を借りて読んでいるうちに、次第に楽しくなり、次に探すことばが待ち遠しくなってきたから面白い。

 こんな読み方は邪道だと思いますが、なにもわからない素人が物好きに調べているということで勘弁していただきたい。


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