川中島の民話発掘と絵本づくり      2007年6月15日

 長野市ではまちづくりの一環として「ながのまちづくり活動支援事業」の補助金を交付している。補助金は書類審査のうえ公開審査会を行い各団体が計画を発表して審査員が審査のうえ決定するシステムである。プレゼンテーションの時間は5分以内でプロジェクターなどを使っておこなうのがほとんどだった。我々も苦心して原稿を作り発表した。なれないので戸惑うこともあったがどうやら発表を終えた。すべての団体の発表を終えた後で審査結果が発表され、「川中島の民話発掘と絵本作り」は合格し、補助金を獲得した。

なぜこの事業を始めたか
 この事業を始めようと思い立ったのは佐藤世津子さんを知ったことと米山さんが子どもたちと作成した絵本を見せられたことである。
 長野市制発足100周年を記念してつくられた冊子「ふるさと歴史探訪」を見たとき、中に民話が載っていたことがとても新鮮だった。この民話を収集したのが佐藤世津子さんで長年にわたり足で歩いて民話や伝承を聞き出したことを知った。佐藤さんと話すうちに、これらの話をなんとか子どもたちに読まれるようにしたいと思った。
 しばらくしてその話を米山さんにしたところ、「僕は以前子どもと一緒に絵本を作ったことがあるよ」と話してくれた。そして、制作した絵本を何冊か持参してくれた。それは素晴らしい本で絵や文もユニークなものだった。
 このことを知ったことで絵本つくりのイメージが湧いてきた。

              この事業の主な日程は以下の通り

1、第一回スタッフ会  趣旨説明、メンバー確認、経過報告、今後の日程確認(6月)
2、スタッフによる地域の民話・伝承舞台めぐり(6月・7月・8月)
3、上田・小県に残る民話「小泉小太郎」の紙芝居公演(7月)
4、絵本を作る会発足、民話絵本つくり開始(9月)
5、絵本完成、発表会(2月)

 6月18日(月)午後大室昂先生(友の会会員で私の小学生時代の担任)に案内していただき川中島の民話に関係ありそうな舞台を4箇所回った。

 まず初めに行ったのは「行人塚」である。昔、中島の百姓の家にひとりの行者(山伏)が訪ねてきてとめてやったところいつまでも出て行かないので畑に庵をつくってやると大変喜んでそこで修行をしていた。そのうち、そこに穴を掘って漆を食べて中に入り、竹筒を出して空気穴とし、中で鉦をたたきながら読経していた。これは生きながらにして仏になる即身仏の修行だそうだ。が、そのうちに次第に読経の声が小さくなりいつか聞こえなくなってしまった。人々はそこに塚を作り行人塚といった。ところが、何年かのち、弘化の地震がおき犀川が氾濫した。水の流れが塚を押し流し、塚の中の行人のミイラが唯念寺にあった巨木に引っかかって止まった。そこで唯念寺さんはそのミイラをねんごろに葬って墓を作ったということだ。
 下の写真は行人が最初にいたところに祀られているが中心のひとつが行者の信仰した大日如来で他は恵比寿と養蚕神を祭ったものである。

         行人塚                縁切り橋               中沢のお稲荷さん
 昔、川中島の義賊が越後の国で盗みを働き、それを貧乏人に配っていた。ところがあるとき盗みが見つかって追いかけられ、長峰橋で首を切られてしまった。そこで村のものはこの橋で首と胴が離れてしまったことから「縁切り橋」と呼び、婚礼のときはここを渡らないことにしたそうだ。
 橋は川中島小学校の西側の下せぎにかかっているが、橋の先に道がない。以前はこの道が続いていたのだが、小学校の敷地拡張があり、道も学校の敷地になってしまった。現在、橋だけは残っているが、危険だから柵があり入れなくなっている。危険だということで橋の撤去が論議されているということだ。

 右は「中沢のお稲荷さん」で川中島四ツ屋の中沢さんの庭にある。赤ん坊の夜泣きが収まるといわれ、比較的最近まで訪れる人がいたそうだ。

 第2回は北原大仏と赤地蔵について数本悦夫さんに聞きたいと思っている。


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