「眠れぬ夜のひとりごと」山岸重治詩集を読む     2007年10月21日

 昨日(10月20日)山岸重治さんが突然やってきた。「私が誰だかわかりますか?」と言われたが、判らない。どこかでお会いした事はわかるのだが、それ以上の記憶はなかった。「申し訳ないが忘れました」と言うと「『まなぶ』の集会でお会いした山岸です」と言われはっと思い出した。

 先々月長野で『まなぶ』という雑誌関係のひとが全国集会を開いた。上野誠がその雑誌の表紙を描いていた関係で、編集者から私に案内状が届いた。当日交流会に出席したところ、スピーチをする事になり、上野誠と『まなぶ』について話した。その時私の隣に座っていたのが山岸重治さんである。

 山岸さんは元国労の活動家で現在は退職して文筆活動そしている。そこで聞いた彼の人生は波乱万丈で私の想像を超えていた。13歳で入隊することは普通ではありえないことだ。それが入隊して終戦まですごしていた。ソ連に抑留されてからもその経歴がさまざまな波乱を呼び起こしたようだ。
 帰国してから、その経歴が就職したり公的な書類を作成する際災いして不利に作用したという。

         山岸さん 略  歴
1931年 上水内郡神郷村(長野市豊野町)に生まれる
1941年 旧満州国(中国東北地区)へ移住
1944年 陸軍燃料廠研修生として入隊(13歳)
      敗戦後はソ連軍、八路軍、国民党軍の管理下におかれる
1947年 国鉄・長野工機部技能者養成所入所
1987年 国鉄民有化の伴い国鉄退職
 現在   自由業、国鉄詩人連盟会員

 山岸さんは私に一冊の詩集をプレゼントしてくれた。それが「眠れぬ夜のひとりごと」である。

 この詩集には山岸さんの人生の実に複雑な思いが書かれており、何篇かの詩に心を打たれた。

            僕の原罪

 1 ブランコ

初めて満州の地を踏んだ開原
小学校は夏休みで友達もいない僕は
誰もいない遊園地でブランコを漕いだ
赤いスカートの女の子が走って来て
人形のような頬をふくらまし僕をにらむ
降りろといいたいらしい
空いているブランコがある それに乗ればいい
降りるものかと力を入れて漕いだ 

「チョウセンは乗っていけんのよ」
女の子は金切り声で叫んだ
そうか朝鮮人は乗ってはいけんのか
僕は朝鮮人でないから降りなくてよいのだ
知らん顔で漕ぎ続ける前に立ちはだかり
ブランコが戻る度に叫ぶ
「父さまは警察に知り合いがいるのよ」
「チョウセンはみなしばるんだから」
朝鮮人は皆しばるがよい 僕は違うんだ
内地の田舎から来たばかりで
植民地の子供のように半ズボンでない僕は
服装がみすぼらしくて朝鮮人に見えるのだ
馬鹿にするな僕は日本人だ 降りるものか
「父さまに言いつけるから!」
髪のリボンを揺すって女の子は走り去った

しばらくして半ズボンを買ってもらった僕は
朝鮮人でなくてよかったと思った


      2 ネグンド楓
 
北風が吹き街路樹のネグンド楓が葉を散らす
プロペラをつけた種が回転しながら舞って
学校では種の回転競争が始まった

「砂漠の土に楓の種をまきましょう」
「五族協和の緑で満州を埋めましょう」
標語を唱和しながら街路樹を巡り
種を集めて袋に詰める
転校したばかりで存在を示したい僕は
負けるものかと走り回っても
思うように袋は膨らまない
一計を案じて朝鮮人部落へ行き
土塀越しに庭木のネグンド楓を狙う
石に紐をつけて枝ごと折って種を採り
袋をいっぱいにして意気揚々と帰る
その年の種集めで僕は一等になった

イルボン小僧の狼藉を
戸口の陰から息をひそめて見つめる
白いチョゴリのオモニたち
倭奴!
言葉に出せない悲しみと怒りの目が
僕の心を刺した
折られた枝は樹液を流す
ネグンド楓は涙のような樹液で幹をぬらし
満州の長い冬に耐えて春を待っていたのだ

 王道楽土を唱えて中国を侵略した日本人と、侵略された中国や朝鮮の人々の姿が少年の目を通して生き生きと描き出されている。少年は支配者の立場にありながらも、その心の奥で自らの不当性に気づいている事がわかる。満州や朝鮮での生活を経験し現地の人々と接触した日本人の多くは心のどこかに山岸さんと同じ思いを抱いていたのではなかろうか。
 山岸さんは勇気を奮い起こしそれを詩に書いた。だが、多くの日本人はかつての不当な自らの経験を語らなかった。沈黙していても、彼等が生きているうちは侵略者の不当性を自覚していたので、日本の国民は憲法を変えようとはしなかった。だが、彼等の沈黙は、かつて自分たちが行った侵略の不当性を、残った国民に伝えなかった。そのことの「つけ」がじわりじわりと日本中に広がってきているように思われる。

 山岸さんは戦後国鉄に入り現場の労働者として人生を送った。
 戦後、国鉄労働者が国民の中でいかに憧れの的であったか、私は義兄との交流の中で知ったのだが、以下の詩を読むと、それが真実であった事がよく分かる。

           
        流れゆく風景の中で

             工具
 
あれらはどうなったかと時々思い出す
三十年間も使い続けたガスバーナーのことだ
癖があって使い難いのもあったが
耐用年月は疾っくに過ぎても
いつの間にか手放せなくなった
バルブと握り部分はツルツルに磨耗し
ハンマー代わりに使った火口の頭部は
凸凹に変化しながら
指に吸いつくように馴染んだ
切断器は俺の意図に応え
巨大なスクラップに果敢に挑んだ
溶接器は微妙な接合部に溶鉄を付着させ
強靭な構造物に仕上げた

秘かに職人の誇りを共有する工具と
どれほど多くの車両を修繕したことか
流れる行程の部品だった労働者の俺に
ひたすら忠実だった工具よ
無骨な掌で磨かれ滑らかになった工具よ
今は職場の片隅で埃にまみれ
打ち捨てられているのか
すでに溶鉱炉の高熱で溶解され
新しい素材として活用されているであろうか

俺は今人生の片隅で
避けようもなく襲いくる老残に晒され
心身に忍び寄る錆を
孤独に耐えゴシゴシと削り落としているのだ

 この詩を読むと蒸気機関車と格闘している青い菜っ葉服の労働者を思い浮かべる。現在は見る事が出来なくなったこのような労働者が取組んだ仕事の中味がいかに素晴らしく誇り高いものであったかがよく分かる。
 山岸さんの詩を読むと、魯迅が指導して描かれた中国の版画を見ているようだ。それにつながる上野誠や鈴木賢二、滝平二郎らの版画を見ているようだ。いま、彼等の描いたような版画ははやらないが、でも、彼等の版画は彼等の生活と、彼等の目指す生活の真実を描いている。オール電化の生活や消費文化の生活の中では見出せない労働者の誇りと働く喜びが歌い上げられている。


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