歌集・『五月の肖像』海野弘子著 を読む    2007年11月10日

 先日、海野弘子さんから歌集・「五月の肖像」が送られてきた。表紙に小山利枝子さんの銅版画「バラ」が描かれているしゃれた本である。

 海野弘子さんというと私には忘れられない歌がある。

  コルヴィッツの画集を開き語るとき魯迅に及びたり画廊の時間
  コルヴィッツの画集繰りつつ語りしはかの夏なりき芳美氏逝きぬ

 ここに挙げた最初の歌が朝日新聞の短歌欄に掲載されたのを知って、私は非常に驚くとともに喜びを感じた。コルヴィッツという版画家を知る人はほんのわずかなのに、「魯迅に及びたり」というほど深く傾倒している方が長野にいることがわかり、同志に出会えたような気持ちになった。何とかして一度お会いしたいと思い、コルヴィッツを扱っている画廊に電話したところ、案の定、歌を作られた海野さんが画廊を訪問された事がわかり、ご本人と連絡が取れた。
 数日後、海野弘子さんと近藤光子さんが美術館を訪問され、コルヴィッツを見たときのお話を詳しくうかがう事が出来た。

 このことがきっかけになり、当美術館で「近藤芳美、ケーテ・コルヴィッツ 書と版画展」を開催した。
 その頃から私は朝日歌壇や信毎歌壇を注目するようになった。注意してみると、海野弘子さんと近藤光子さんの歌は信毎歌壇に毎回のように掲載されており、お二人がこの道のベテランであることもわかった。

 クローバー咲きたる思い出たのしけれ幼子のためひとむれ残さむ

 クローバーはどこにも生えている草であるが、私の思い出の中では貴重な草である。猫じゃらしやすべりひゆ、おおばこ、あかざなどは庭中に生えて退治するのに一苦労したのだが、クローバーは幼少時にはまったく見なかった。クローバーという名前もカタカナであり、どこか異国風な名前であった。たまに生えているのを見つけると「あ、三つ葉だ三つ葉だ」と言って争って引き抜いた。その花の周りで女の子たちがネックレスを作っているのをうらやましく眺めていたことを思い出す。(不器用な私は作ることができなかった)
白い花のにおいも心地よかった。

  かさこそと落葉掃きゆくたのしみも凍土固く終に尽きたり

 我が家の庭は、いま、落ち葉が積もるほどだ。庭にある楢と欅が年々成長し、落ち葉の量も並ではないがそれを掃き集めるのが私は好きだ。ほうきでなく、熊ざらいでかくと、落ち葉だけが集められて山ができる。それを「ぼて」に入れて板で囲った中に入れておくと腐葉土ができる。
 これは「かさこそ」ではなくて「がさがさ」なので海野さんの歌を上品とすると私の落ち葉掃きは下品であるが楽しみにしていることでは同じかな、などと思いながら読んだ。


  
レモン香るチーズケーキを作り置き娘は夜明けに学舎に発つ
  飴色にすき透るまで大根をふつふつと煮る子を待つ夕べ

 こういう歌は女性でなければ創れない。読みながら、娘でなく、自分自身のことを思い出してしまった。私が初任地の学校から帰り、一晩泊まって早朝帰る時、母が前夜のうちにおにぎりを握っておいてくれたことがしばしばあった。だが、自分の娘が帰った時のことは何一つ覚えていないことに気がついた。この歌を読んでみて改めて母の思いがわかるような気がする。あるいは私が子不幸な親だったのか。

  塵といふ大和言葉をいとほしむやさしき響きに命こもれる

「ちり」と読むのだろうか。この言葉が大和言葉だということなどちっとも知らなかった。わたしにはよくわからない歌である。このように私の知識がないためにわからない歌がかなりあった。私が塵という文字から浮かぶのは「梁塵秘抄」であり、やまと言葉の「塵」ではない。残念なことである。

  草紅葉の露地を踏み分け語りゆく湖畔に秋陽残りつつ冷ゆ


 インターネットで「草紅葉」を検索すると尾瀬の草紅葉の写真があらわれた。私は「草紅葉」とは「草が赤くなった」ものを指すと思っていたので驚いた。固有名詞なのだろうか。仮に違うとしてもこの歌の風景は尾瀬に合っていると思った。

 
かまきりの逆さになりて卵産む動かぬ真昼の庭静かなり
 
錆色の枯れ紫陽花の花毬に青を秘めて果てたり
 細枝の先まで樹精のぼらせて樹々それぞれに命かがやく
 それぞれに一樹の摂理あるらしく春に背きて樫は落葉す
 みそさざいに逢はむと小藪のぞきたり秋の疎水のたばしる辺り
 藤袴へ突如飛び来し浅黄斑涼しき翅の一瞬に去る

 歌を詠む人は自然を丁寧に見ている。それと比べ私は自然をほとんど見ていない。「日本人は自然と親しんでいるところに特徴がある」というようなことが言われているが、海野さんの歌を読むとそのとおりだと思う。ところが、私は違っている。自然(木や草)を見る目、食べ物の嗜好などいずれも古来からの日本人の長所を持ち合わせていないのだ。だから、最近は他人の歌を読んで、改めて自然を見直し「なるほどそうだったのか」と感心している。「紫陽花の花毬に青を秘めて果てたり」などというところは将にそうである。だが、もしかしたら、このように思うようになったのは私が老化したからかもしれない。

 「冬の旅」の夜の菩提樹よふるさとに我を抱きとむる大樹のありや

 「冬の旅」はシューベルトの歌曲だが、いままでこの曲の歌詞をしっかりと読んだことはなかった。だから、「菩提樹」が我をしっかりと抱きとめる大樹だったことも知らなかった。知っていたのは「泉に沿いて茂る菩提樹/したいゆきてはうまし夢みつ、、、」という歌集の言葉だけであった。そこで、改めてミュラーの詩を読んでみた。


市の門の近くの噴水のそばに  一本の菩提樹が茂っている。
ぼくはその涼しい木陰で  幾度も甘い夢に耽ったものだ。

ぼくはその樹皮に刻み込んだ。 数々の愛の言葉を。
うれしいときも、悲しいときも、 この樹の下へやってきた。

今日も旅を続けるぼくは 深夜にこの樹の下を通り過ぎた。
通りすがりに暗闇の中で  ぼくはじっと目を閉じた。

すると、枝のざわめきが聞こえた、 まるで、こうささやくように、
「ここへ来て腰をかけたら、きみ、いつものように、休んでいったら!」と

ぴゅうぴゅうと冷たい風が  ぼくの顔に吹きつけた。
風は帽子をかすめとっていった。  だが、ぼくは振り向きもしなかった。

やっとそこから何時間も離れたところにやってきた。
だが、あのささやきがまだ耳にのこる。
「きみの安らぎはあそこしかないのに!」と。

 改めて詩を読んでみると、愛の言葉を刻み込んだ時の自分と違った現在の自分がいて、過去から決別しようとしているようにもとれるし、その自分が過去に未練を残しているようにも思える。
 詩を読み、考えながら「冬の旅」を何回か聴いて大満足をした。


  生き残るといふもさぶしも青松虫十一月の桜木に鳴く
  いつくしき輪廻と言はむ朝土に産卵終へし蝉よこたはる
  十重二十重の寒波に花芯耐へずして咲くを止めたり紅の山茶花
  深藍の闇を飛び来て門の辺を光乏しき蛍さまよふ
  朝まだき上田過ぐるとき太郎山に父愛したるさかさ霧たつ
  ひんやりと祖母の水甕置きあればあふるるばかり山吹を挿す
  

 以前、近藤光子さんから歌集をいただいて読ませてもらった。私は短歌をよく知らないので歌の良し悪しはまるでわからないが、近藤さんの歌は人生にも社会にも積極的でシャイな歌が多かった。それと比べて海野さんの歌は静かに内に向かう歌が多い。また、自分の身近なもの(家族)に対する思いや、生き物のいのちをうたった歌が多いように思う。

 私は植物に弱い。草花の名前などほとんどわからない。この歌集を読んでも草や木や花を知らないため理解できない歌がたくさんあった。仕方ないので、インターネットで検索して読み進んだのが、下の歌である。弟切草は草の名前が切ない。どんないわくがあるのだろうか。木曾の谷に生えているようだが、まだ見たことはない。榠櫨のよみがわからなくて困った挙句、「メイ」「ロ」と言う文字を探してようやくわかったが、わかって見れば「カリン」だった。「ひとつばたご」は「ナンジャモンジャ」の木だそうだがナンジャモンジャの木がわからないままである。写真が出たのでこれで満足しよう。黐」の字のよみはわからなかった。インターネットをいろいろ駆使してようやく「もち」だとわかったのだが、これなら辞書を引いたほうが早かった。

 弟切草哀しき名もて黄に咲けり木曾谷街道雨に呼びをり
 わが生れし霜月来る「冬の旅」聴く夜の卓に榠櫨の香る
 ひとつばたごの総みの身の花散り果ててひと夜の雨の青々と降る

 赤き実をすべて失ひ春の黐暗緑の葉を落し初めたり
 魂をかへらすといふはんごん草咲けば戸隠はや秋となる



 若き日の傍線残る君の書の魯迅全集一巻を読む

 昔、魯迅を読んだことがあるので、「魯迅」という文字を見ると惹かれてしまう。そして「魯迅全集はどの本だろうか」などと考えている。もしかしたら「大魯迅全集」かな、などと思って読ませていただいた。
  
 「止まらずに先へ進んで下さい」とそんなものかよ「受胎告知」は

 この歌は海野さんの歌としては大変めずらしく皮肉とユーモアあふれる歌である。読みながら笑ってしまった。ちょうどそのとき、うちの美術館の壁に受胎告知のポスターがはってあったので余計強い印象を持ったのかもしれない。
 美術館が採算重視ということで次々に自治体の手から下請けに出されている。(独立行政法人という名で)
その結果展覧会は観客の多少を争うようになり、いきおいマスコミ受けのする企画を立て始めた。「レオナルド・ダヴィンチ展」の受胎告知はそのもっとも成功したものである。その代償として観客から見れば「そんなものかよ」となるのかもしれない。また、いくらすばらしい企画をしても客が来なければその企画は失敗とされ地味な企画は見捨てられるのも問題だ。

 長野の信濃美術館も独立行政法人になり、県職員の学芸員は全員配置転換され千曲市の県立歴史館などに勤めているが、これには首を傾げたくなる。
 

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