花びらのような命 (竹村あつお編)を読む    2008年2月28日
    ー自由律俳人 松尾あつゆき全俳句と長崎被爆体験ー

 竹村あつおさんから表記の著作を贈られた。
 竹村(本名 竹村昌男)さんは現在御厨神田の区長をされる傍ら川中島住民自治協議会の事務局長をされている。私は昨年住民自治協議会に誘われて関係したのだが、それまで彼のことは何も知らなかった。わずかなお付き合いの中で彼が俳人松尾あつゆきを研究されていることを知った。

 私は俳句については全くの素人というだけでなく、興味すらなかったので、松尾あつゆきについても竹村さんから紹介されるまで名前すら知らなかった。竹村さんから彼が原爆被爆者で被爆体験を書いているということを教わって興味を抱いた。また、松尾あつゆきが長野に在住し竹村さんの高校時代の担任であったことを聞き、いっそう関心を抱くようになった。

 『花びらのような命』は474ページの大冊で、とても簡単に読めるものではないので、「はじめに」(竹村あつお)、「序にかえて」(吉岡憲生)、「松尾敦之との生活」(松尾とみ子)、「ならんで雪のせてしなののちいさい墓達」(山下昭子)と本文の日記「原爆前後」を読んだ。




 今回の感想はとりあえず上記の部分(前文)の感想を書くことにする。
 この著作の前文はなんと4人が書いている。編者が序文を書くのは当たり前だが、そのほか3人が序に当たる文を書いているのは大変珍しい。そのことに興味を引かれて読んでみた。短いけれど、どれも特徴のある文で、それぞれの思いがこもっており読み応えがあった。

「はじめに」(竹村あつお)
 簡潔で要を得た文だと思う。氏と松尾あつゆきのかかわりと本書発行に至る経緯が時々の思いを交えて書かれている。
 それにしても、竹村さんはこれだけの労作をなぜ編集し発行したのだろうか。あつゆきの教え子は多数いるだろうし、俳句の仲間も多いのに、あえてこの仕事に取り組んだ竹村さんの思いはなんだったのかを考えてみた。
 中学時代の師弟のつながりからつづいた交流の深まり、一瞬のうちに妻と子を奪った原爆と戦争への思いへの共感、共通する俳句への関心などが考えられるが、序の最後に書かれていたとみ子夫人の次の言葉は特別の重みを持っていたようである。
 「しかし、層雲入会後、年月が経たない私にとって、単なる師弟関係だけで作品集を作ることはあまりにも浅薄な行為であると逡巡した。その迷いを取り去ったのが、とみ子夫人の「もうわたしには時間がないんです」という言葉であった。」
 竹村さんと松尾家は師弟・俳句仲間というよりは親戚に近くなっていたように思う。

「序にかえて」(吉岡憲生)
 吉岡憲生さんについては何もわからないが、編者と同様に松尾あつゆきに教えを受けた弟子でありあつゆきを慕っている仲間のようである。おそらく編者と共にこの本の発行にかかわったのであろう。あつゆきの句碑について、竹村氏の長崎来訪について記したあと、原爆に関する自身の俳句を書いている。
 句碑に刻まれたあつゆきの句も以下のように紹介されている。
 主碑の句  降伏のみことのり、妻を焼く火いまぞ熾りつ

 副碑の句  すべなし地に置けばむらがる蠅

 同      かぜ、子らに火をつけてたばこ一本

 同      朝霧きょうだいよりそうたなりの骨で

 同      まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる

 同      炎天、妻に火をつけて水のむ
 
 同      なにもかもなくした手に四まいの爆死証明

 同      涙かくさなくもよい暗さにして泣く

「松尾敦之との生活」
(松尾とみ子)

 奥さんのとみ子さんから見た松尾あつゆきの姿が結婚から亡くなるまでを年代別に書かれている。
 原爆ですべてを失った松尾が無一物で長野に移住したこと、大変な貧乏暮らしの連続、様々な差別と偏見の中での生活、病気との闘いなどとともに、最後は生活の安定より長崎での生活を選択したことなど。
 「長野では定年になったとき、私立高校の校長、長野吉田高校の校長や市内の予備校からも是非にとお誘いの話がありました。私にすれば考えてくれないかと思っていました。が、やっぱり松尾の胸の中には原爆で亡くなった人達、千代子さん、子供達のことが忘れかねていたのでしょう」
 長崎に帰ってからも生活の苦しさは奥さんを苦しめたようであるが、松尾の病気が一番の気がかりだったようである。
 松尾の死に際して「『先生今日連れて行かないでください。十日の朝までもたせてください』と頼んだこと、いまだに忘れません。、、、、九日の皆の命日に連れて行かれては私はどうなるのと言いたくなりました」の言葉は、8月9日に原爆で子供達を死なせた松尾を、どんなことをしても同じ日に死なせたくないという思いが伝わってくる文章であった。


「ならんで雪のせてしなののちいさい墓達」(山下昭子 長崎新聞文化部記者)

 ここには、長崎新聞に記事を掲載するまでの取材を中心に、松尾あつゆきについての論評ともとれる文が寄稿されているが、記事を掲載した新聞社の記者がこのような形で序文を書いたという例は聞いたことがない。
 山下さんは職業記者というより原爆を詠んだ松尾に傾倒したひとりの人間として彼の記事を書いたのだろう。
 「『これまでのあつゆきの魂の証明として大切に保存してきました。未発表の作品が平和のお役に立つなら夫も喜ぶでしょう』といって遺稿の詰まった一抱えもある箱を託されたのは、五十九回目の”あの日”がめぐってくる初夏だった」
 と書かれていることでも彼女と松尾のつながりの深さが理解できる。


BACK NEXT 通信一覧