2・4事件75周年記念の集い     2008年3月2日

 茅野市で「2・4事件75周年記念の集い」が行われた。
 「2・4事件」というのは昭和8年2月4日に長野県の教員が多数治安維持法違反で捕まり、「教員赤化事件」として大々的に喧伝せれたことを指している。その後の研究により、この事件は教員だけが弾圧されたのでないし、長野県だけが弾圧されたのでもないことがわかってきた。それはそれとして、重要なことではあるが、この事件が上記のようにして広まり、その後に大きな影響を及ぼしたことは事実である。

 この事件の中心になったのは諏訪地方の永明小学校の教員であるので、今回の集会が茅野市で開催されたのであろう。

 会の内容は下記のようなものであった。
        「二・四事件」75周年記念の集い 次第

1、開会の言葉   高村裕(高教組)
2、主催者挨拶  花岡邦明(県教組)
○ 二・四事件の概要報告  原英章(歴史教育者協議会)

3、報告  @抵抗と弾圧の長野県教育史から学ぶ   坂口光邦
       A諏訪地方の「二・四事件」の虚像と実像  五味省七

4、講演 「長野県教育に期待するもの」中馬清福(信濃毎日新聞主筆)

5、フロアからの発言
6、閉会の言葉   佐藤一(国賠同盟)

 今回の集会のメインは信濃毎日新聞社主筆の中馬清福氏の講演であったが、講演の前に地元の伊藤正陽さんから2・4事件に関するアンケート結果についての報告があった。

アンケート結果


1、『永明小百年のあゆみ』に記されている昭和8年に起きた事件を知っていますか

20未満 20代 30代 40代 50代 60代 70代 80以上 合計
よく知っている
まあ知っている 11 17
ほとんど知らない 21
全然知らない 37 28 33 21 120

2、その事件の呼称として、どの表現を用いますか

呼称 2・4事件 教員赤化事件 永明事件 その他
人数 14 10 11(含知らない)

3−1、警察が事件として検挙したことについてどう考えますか

評価 当然だ やむをえない どちらかと言うとまずい 不当だ わからない
人数 16 10

3−2、コメント
(略)

3−3、検挙された教員の教育活動をどう思いますか
評価  よい教育    普通の活動   あまりよくない  よくない教育  わからない  
人数 23


 アンケートの結果、地元(永明中学校の保護者)でもほとんどの人は2・4事件を知らないということだった(ぜんぜん知らない75%、ほとんど知らない13%)。私はこの結果にはそれほど驚かなかった。75年前の出来事であるし、人口構成も戦前からの住民より新しく移住した人が多いことを考えると、知らないのが当然だと思うのだ。
 しかし、地元の学校の「校史」の多くが2・4事件を「教員赤化事件」と書いており、その内容も当時の新聞記事を中心に書かれていると聞き驚き、怒りの気持ちが湧き上がってきた。当時の新聞が事件を「最高の悪事であり、長野県の恥である」としていたことはいうまでもないが、その記事をそのまま写したり同様の評価をしたのでは大変な間違いを生むことになる。
 例えば『高島小学校百年史』には「事件の中心となった永明小学校における左翼傾向は・・・・・昭和3年同校併設の実業補修学校に着任した京大卒の若い教師達によって漸次その意識を強化し」云々「本校関係でも、数名の関係者を出し、一名退職、他は休職処分となったが、活動期間が一年未満という短時日であったことや、それぞれの教師が一家の風格を持っていた高島の伝統の中にあって、一般教職員、生徒への影響はそれほど大きいものには至らなかった」「この事件は信州教育における非常な事件ではあったが、しかし、これは信州教育界の全く一角の現象で、全部がこれに左右されたわけではない」などと書かれている。
 ここには「永明小学校における左翼傾向は」と書かれているが、その中身(男女平等、戦争反対、日中友好、人種差別反対、社会的不平等是正などを教えていた)には触れていない。もし、彼らの教育の中味にまで踏み込んで書いていたならば、ここに書かれたような書き方はしなかったはずである。この百年史の記述がそのまま読まれるとしたら”一部の左翼分子がいて検挙されたが、風格ある教師が多かったのでその影響は小さかった。県下での影響もたいしたことはなかった、ああよかった”ということになってしまう。
 当時の教師は「風格ある」なしにかかわらず「天皇は神様である、日本は大東亜(アジア)を支配する中心だ、男女は平等でない、小作人が地主に年貢を出すのは当然だ、日本が中国で戦争をするのはよいことだ」と主張していたことは捨象されてしまう。

 坂口光邦さんの報告は長野県教育の歴史と今後のあり方についてであった。坂口さんの話は今まで何回か聞いてきたが、今回の報告の特徴は信濃教育会の評価を見直す必要があるのではないかというものであった。特に、佐藤寅太郎の「教権の確立」というスローガンの持っていた意味について高い評価を下していた。その上に立って「信州教育の碑建設実行委員会メンバー(民間の教育関係団体を網羅)による信州教育再生を目指す会議を提言したのが注目された。
 この提起はわかるが、中馬講演にあった信濃教育会の責任などについてはどのように考えているのかをふくめて話してもらいたかった。「教権の確立」はいいのだが、教育会は自身の言葉とは反対に「国家権力の僕」になっていたのだから、それを自らが認めることが必要ではないかとも思うのである。
 これは大きな問題提起なので、今日の報告を聞いただけではとても理解できなかった。長いスパンで勉強会をする必要があるだろう。

 記念講演

長野県教育に期待するもの  (黒字はレジメの文章)   中馬清福

T、初めに(今、なぜ2・4事件なのか)
 1、過去は未来を映す鏡である―なぜ私たちは「2・4事件」にこだわるか

歴史は点ではなく線であり面である。現在は過去からの連続の中にあり、未来も現在からの連続の中にある。2・4事件を学習することは過去の問題ではなく現在に繋がる問題であるから意味があるのだ。現在は歴史を点で見ようとする人がいるが、それは間違っている。

 2、歴史は何度も繰り返すー一度は悲劇として、二度も悲劇として、三度も・・・

2・4事件は再びこないとはいえない。東京では同じことが起こっているではないか。歴史は繰り返す、一度は悲劇として、二度目は喜劇として、と言った人がいたが、二度目も三度目も悲劇であってはならない。

 3、歴史に学ばぬ者はー記憶と怒りを持続させるためにはどうすべきか

戦争は兵隊だけではできない。それを支える世論が必要である。世論は教育でつくられた。2・4事件はそのため に仕組まれた格好の事件であった。教育こそ国体を護持する根本であったことを忘れてはならない。

 4、権力は腐敗するーだが弱さが権力に迎合するときの腐敗は最悪である

権力は腐敗するが、いつの時代にも権力に迎合する人が必ずいる。かれらは権力者以上に醜 いことをする。

 5、前衛はもろいー「疾風に勁草を知る」(後漢書)

2・4事件については研究がなされ、権力の問題や弾圧の実態は詳しく明らかにされた。だが、我々の側の問題が研究され尽くしたかというと残されているのではないだろうか。「弾圧の前触れを見逃していなかっただろうか」「当事者の親や家族はいかにあったのか」「犠牲者をもっと少なくする方策はなかったのだろうか」「組織の指導はどうだったのか」などについて今後深く研究する必要があるのではないか。

U、羅針盤を失った日本の公教育
 1、外堀を埋めた教育基本法の改悪ー執念の権力、呆然たる教育現場

権力は憲法改悪の方向をしつこく追求してくる。教育基本法改定で外堀を埋められた。

 2、内堀まで埋める新学習指導要領ー法的拘束力でがんじがらめ

学習指導要領改定は内堀に当たる。これで教育が国家主義と競争原理のなかに組み込まれ、それを法的拘束力で縛る。

 3、<生きる力>に必要な学力とはー塾主導で限りなく増殖される「学力」
    
 4、教育は新自由主義になじまないー審議会/再生会議という名の無責任体制

世界の学力評価で日本の子どもの学力が低下したと大騒ぎして教育再生会議などを作っているが、彼らは思いつきで好きなことを述べている。日本の教育の在り方を深く考えて提言しているようには思えない。
学力低下が問題になったのは2003年のOPEC報告だが、その時東京大学の佐藤学先生は報告を分析して「報告によれば日本の学力低下の原因として @ドリル学習の普及 A習熟度別授業 B非常勤講師の増大の3点が挙げられている」と述べている
この分析は一般に言われていることと反対である。

 5、夜間、教室を塾にするとは何事ー教師たちはなぜ怒らないのか

東京では民間から校長を呼び、学校の教室で塾(リクルート)の授業が行われている。これに対して学校の教師たちは怒らないのはどういうわけか。

V、外から見た「県教育の特質と課題」
現在の日本の教育は県独自にはほとんど何もできないが、それでも長野県に期待するところは大きい。
 1、教育県の重圧ー過去の「栄光」を背負いながら
 2、特異なトロイカー教育委員会・教組・信濃教育会の微妙なバランス

信濃教育会という組織が残っており県教組や高教組が一定の影響力を持っている県は他にない。それぞれが微妙なバランスを持って動いているのが長野県教育の特徴である。

 3、信濃教育会の功罪ー問われる権力との間合い

信濃教育会は信州教育といわれる優れた教育実践を生み出したが、一方では満蒙開拓青少年義勇軍を日本一多く送り出した。また、ある時期からは実質的な人事権を持っていた。信濃教育会がきちんとこれらの清算をすることが待たれる。

 4、熱心さで他を圧するー研修・学習・授業。空回りすることへの苛立ち

長野県の教師は実に熱心である。これは他県と大きく違っているし宝物であるので、誇ってよい。

 5、司令塔と現場の狭間でー苦悩し萎縮する教師たち

W、それでも、長野県教育に期待する
 1、宝は現場にしかないーすべての出発点は現場。現場の教師に自信を持たす工夫を

長野県はまだ塾に毒され方が少ない。父母も教師を尊敬している。社会的にも学校の教師が尊敬されている。また、今日のような会にこれだけの教師が集まる。ここに長野県教育が前進できる可能性が見える。

 2、優れた教師の優遇をー県独自の、教育公務員を対象とする財政システムをつくれ
 3、長野県の特質を活用ー@トロイカ再編成と定例協議会の発足へ

信濃教育会や組合にも配慮している教育委員会はほとんどない。単線型はストレートに文科省の方針が現場に下りている。
                 A現場の若手を軸とする新信濃教育会へ
                 B教師だけでなく保護者を加えた研修へ
                 C副読本(できれば教科書)での教育を
                 D学校と塾の調整。学校が塾を取り込む

塾に主導されるより学校が塾を主導することを考えたらどうか。学校を塾に貸して、塾が補習するくらいなら学校の先生が補習しても良いと思う。

 4、地方分権を強く推進ー教育こそ地方分権の要。これなくして教育の復権はない

        (太字の部分はプリントのレジメで青字の箇所は話の内容概略です)

講演の感想

1、講演は大きく三つの部分に分けられていた。
 第一部で私が注目したのは「前衛は弱い」という部分であった。
 要旨にも書いたが、中馬氏がそこで言いたかったことは「弾圧の実態やその不当性は今までの研究で明らかにされているが、弾圧された側の分析が不十分ではないのか」ということであったように思う。
 「残された家族達はどのような思いをし、暮らしたのか」「根こそぎ検挙されてしまったのだが、彼らの影響はどのように教え子達の間に残ったのか、または残らなかったのか」「なぜ、根こそぎ検挙されてしまったのか」「『新教・教労』の組織化という方針は正しかったのか」等々はまだほとんど明らかにされていないが、今後これらの研究することが必要だと主張していた。
 私はこの問題提起は非常に重要だ思う。
 すでに、教育に対する権力の意思は戦前の国家統制当時と似通ってきている。東京都の教育行政を見ればそれがいかに恐ろしいものであるかよくわかる。中馬氏が指摘したように既に外堀は埋められ、内堀も埋まりつつあるのが現状であろう。
 だから、私たち自身の教育実践・教育運動をどのように組み立てるかはきわめて重要だと思うのだ。たとえば、君が代・日の丸問題に対する闘い方、学力問題への対処の仕方、組合運動のあり方、地域との提携のなどあり方など課題が山ほどある。それらの課題に立ち向かうとき2・4事件の教訓をどう生かすかは重要な意味を持つ。
 そう考えるとき、私は中馬さんが「前衛はもろい」と書いたのには丸山真男の戦争責任論を想起していたのではないかと推測している。
 丸山は戦争責任について、戦争を起こした側についてはもちろんだが、阻止できなかった側についても「なぜ、戦争を阻止できなかったのか」という総括が不足しているのではないかと問題提起をしていた。今回の中馬講演で提起された問題も丸山真男の戦争責任論が提起した問題意識と共通していると思った。

2、第二部で注目したのは公立学校を塾に貸し出して使わせた事に対する怒りの言葉だった。
 教育基本法の改悪や学習指導要領改定、教育再生会議のあり方や人選については多くの批判があり、私も怒っていた。しかし、公立学校で塾を開いた問題については東京の出来事として、割と無関心でいたので、虚をつかれた思いがする。プリンスホテルが日教組の宿泊を拒否したことについては即座に反応したのだが、学校を塾にしようとしたことについては鈍かったなあと反省している。塾問題については時間をかけて突っ込んだ研究をする必要があるように思う。私を含めて長野県の教育関係者は他人事だと思っている人が多い。
 学力問題で東大の佐藤学教授の話やフィンランドの教育事情、OECDの事務局長が「日本の教育担当者は日本の子どもに多くの労働市場から消えつつある力をつけようとしている」と語ったことなども興味深かった。


3、第三部で私が注目したのは「教育委員会、信濃教育会、県教組・高教組のトロイカ方式で教育を進めたらどうか」という提言だった。
 これは坂口さんが前に述べた「信州教育の碑実行委員会メンバーによる定期協議の場つくり」と良く似た案である。坂口さんは教育委員会を除く民間の教育団体の総結集を言っていたが、中馬さんは行政も含めた教育団体の協議を考えていた。実現可能かどうかは疑問だが、教育の場における統一戦線つくりとして検討に値すると思った。長野県教育委員会は官であっても地方分権という視点で見れば我々にとって非常に貴重な仲間になりうる組織であることを認識する必要があるのかもしれない。

4、「優れた教師の優遇を」と話されたが、これについてはあまり突っ込んだ話がなかったため、よくわからなかった。財政的な優遇ということになると、勤務評定が頭をよぎる。中馬さんが何をイメージされているか知りたいものである。

 大変興味深い講演であった。いつかここでも中馬さんのはなしを聞こうと思う。


附 70周年集会 (以前のホームページより)

    「二・四事件」70周年記念の集い    2003年2月15日

「二・四事件」といっても大方の人は何のことかおわかりにならないと思うが、この事件は今から70年前の1932年2月4日に長野県下で起きた教員弾圧事件のことである。「教員赤化事件」などとも呼ばれ長野県の教員社会では長い間恐れられていた事件である。おそれられていたというのは「上のものの言うことを聞かなければこういう目に会うよ」というような意味で使われており、上意下達の徹底、異端の排斥、事なかれ主義を隅々まで浸透させる働きをしたといってもいいだろう。
 また、こう呼ばれると教員が赤化し弾圧された事件のように聞こえるが、ここで弾圧されたのは教師だけではない。また、弾圧された教師の多くは共産主義者やマルキストでもなかった。

 当日報告された小平千文氏によれば当時弾圧されたうちの一人牛山吉太は後日最初の取調べについて次のような文を書き残している。

警官 天皇陛下の命により今から牛山吉太の調書をとる。
(検事着席)
検事 オイ君、治安維持法ってどんな法律かや?
牛山 詳しいことは知りませんが何でも天皇制や私有財産制を否定するものに対する厳しい刑罰の法律とか・・・
検事 うん、よく知っているな、共産党宣言は?
牛山 知りません
検事 (書記に向かって)
    オイ君書き給え、私は天皇制を否定します。私は私有財産制を否定します
牛山 それは私の調書ですか?
検事 勿論そうだよ
牛山 私は別に天皇制や私有財産制を否定するとは申しませんが、治安維持法にそうあると申し上げただけです。
  (とたんに居丈高になって)
検事 オイ君、これはみな君の口から出た言葉じゃないか。僕は一言も天とも私とも言いやせん。みな君の口から出た言葉じゃないか?オイ、君は男だろう?男なら男らしく言ったことは言ったと堂々と言いなさい。それじゃ一つ男にしてやるか。泥鰌掬いがいいか、鉛筆回しがいいか、どっちでもお望みどおりのサービスだ。
    (どれも拷問の名前、先方の言った通り首肯するまでいくらでもやる)
と、こんな様子だったという。

 この会は50周年、60周年、65周年と開かれ今年が70周年になる。会の次第は次のようであった
(1) 開会の言葉         中島 武
(2) 主催者代表あいさつ    長谷川修三
(3) 記念講演   
  〇 「あらためて『二・四事件』から学ぶ」          小平千文
  〇 「30年代初頭 長野・教労/新教に集う先生たち」  森田俊夫
  〇 「その後の河村卓先生」                  島尾多香
(4) フロアーからの発言
(5) アピール採択        米山順夫
(6) 閉会の言葉         暦教協

この会の内容はとても書ききれないので印象に残った数点に限って書いて感想を添えたい。

1、この事件にかかわった多くの教員はごく普通の教員であった。しかも、子どもを心から愛し、熱  心に教育に打ち込んでいた若者であった。(小平講演)
2、彼等が作っていた修身教科書の自主編成は同じ修身教科書の「国交」を改変してつくられて  いる可能性が高い。(森田講演)
3、他県で弾圧された教員は戦後教職員運動の先頭に立った人が多いのに、長野県の人は教   職員運動からは遠のいた人が多い。指導的立場に立ったひとに特にその傾向が強い。

森田俊夫氏は「当時多くの人は中国で起きた衝突が長く続くとは思っていなかった。ところが実際は次第にエスカレートしていって1945年まで続いてしまった。現在の状況はあの当時と極めて似ている。歴史から学ぶとしたら、そういうこともある。」といっていた。

 確かに社会の動きを見ていると「生き物」だと思う。北朝鮮の拉致問題がそうだった。少し前には考えられないような世論が作り出され、日本中が熱病のようになった。9・11の後のアフガン攻撃もそうだった。テロがあったから国に対して戦争を始めるということを世界の世論が許すとはとても思えなかったのに、そうなってしまった。
 このように、事態は少しずつすすみ、あるとき突然あっという間に激変するのだ。

それを抑えることが出来るかどうかは、その時「熱病にかからない人」がどのくらいいるかどうかだと思う。



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