バランス感覚について   2008年3月11日

 最近、報道・世論のバランス感覚について考えることが多い。
 例えば、テレビを見たり新聞を読むと三浦和義氏のロサンゼルス事件の記事が連日大きく取り上げられている。だが、沖縄の少女暴行問題は1〜2回書かれたきりで紙面から消えてしまった。イージス艦の衝突事件でさえ紙面から消えようとしている。三浦問題は以前でいえば三面記事に載る問題で、パッと書かれてすぐ消えてしまう記事だったように思う。沖縄の少女暴行事件やイージス艦と漁船の衝突事件は三面ではなく一面記事である。パッと消えてもいい記事は連日放送されたり書かれており、国のあり方が問われるような問題はパッと消えてしまう。これでいいのだろうか。

 中国から輸入された餃子の事件も連日大きく採り上げられたし、賞味期限を偽った老舗についても何日にもわたり大きく報道された。確かに大きな事件ではあるけれど、これらの問題がこれだけ大きく採り上げられることには違和感を持つ。「たかが賞味期限切れではないか」と思うのだ。
 このような報道の一方、年間3万人以上の自殺者が続いていることについてはわずかなスペースの報道が1〜2回あるだけである。3万人と数字で書くとそれで終わってしまうけれど、1人ひとりには大変重い背景があることを考えると、テレビや新聞にはこのような問題をもっと深く大きく取り上げてもらいたい。
 餃子事件や期限切れ問題にも社会的な問題(食料自給率や検疫調査、独裁的な経営といい加減な経営感覚)が背景にあり、それはそれで重要ではあるが3万人という気が遠くなるような数の自殺者が続いていることはその背景も含め、賞味期限切れとは比較にならないほどの大問題ではないかと思うのである。

 報道のことを書いてきたが、バランスということになるとテロと戦争について思うことがある。
 テロは容認できないことは私も同感であるが、戦争を容認することは更にできない。テロは関係のない人を巻き込み殺したり傷つけたりするが、戦争も関係ない人を殺したり傷つける。その数はテロの比ではない。9・11の犠牲者が6000人だとすると原爆の死者は30〜50万人以上と言われ、南京虐殺も数万人といわれている。中国全体ではどのくらいいるか計り知れない。そのほとんどは兵士ではなく一般の市民である。
 バランスということになると破壊の量、殺人の数、抑圧の強さなどどれをとってもテロの比ではない。ところがテロは誰もが非難するが戦争に対する批判ははるかに少ないのはなぜだろうか。


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