「花びらのような命」(竹村あつお編)を読む 続   2008年3月14日

 原爆に被災したときのことは日記に詳しいので一部を抜粋してみる。
 句の背景がこの日記により鮮明に見えてくる。このような経験をして生きるということの重さがひしひしと伝わってくる。その重さはとても口では伝えられない。
日記・原爆前後

8月9日
 この日快晴、暑いのでシャツ一枚である。前後、宿直で帰宅しなかったが、その夕、妻より食事に戻らないのか、と電話がかかったので、「今日より帰宅してはいけないことになった。広島空襲の惨害はひどかったそうだから、よく注意してくれ」と、それとなく妻に注意しておいた。(略)
 書類を非常袋に入れる暇がないが、どうしたものかと考えたがそれはほんの一瞬のことである。突然パーッと黄色い光が世界を包むと同時に、大波止の方から会議室を通じて熱気がフワーと入ってきた。と、ドカーンと爆弾の音である。誰となく「伏せ」と口々
に言い、私も伏せたが、爆風は家全体を揺り、窓ガラス、窓枠の散乱する音。(略)
女学校に着くと、倉庫警備の深川さんより「お嬢さんがけがして、ここに来ている」と告げられる。驚きと喜びに早速先生から橘寮に案内される。そこに両手と顔と火傷したみち子がいた。起きていて、歩ける。何ということなしに涙が出た。(略)
 私自身も妻子の掘り出しは翌日にしようと思い、庭先の壕の中で夜明けを待つつもりで這いこみ、奥のほうに手をやると、冷たい足らしきものに触れた。「誰だ」ときくと、「海人です」という。その時のうれしさ。「縁ではだかになって工作をしていたら、やられた。下敷きになったが、はい出した。それから、お母さんを探してまわったが、見つからないので、ここに入って寝ている。」という。「けがしていないか」と聞くと「少しやけどしているが、大したことない。千原(近くの子)と二人で梨を食べたり、ここにあった鰯のカンづめを食べたが、悪かったとみえて、吐いたり下痢したりした」という。「真っ暗であるし、敵機の来襲があるし、とにかく夜の明けるのを待とう。お前の傷も軽いらしいし、みち子も矢の平に助かっている。これから三人でしっかりやっていこう。(略)

8月10日
 寝られぬままに短夜明けそめるとすぐ壕を出てみる。見渡す限り東の山から西の山の間、直径3キロぐらいの平地はいうに及ばず、山の畑、木に至るまですっかり焼失して、実に惨憺たる、荒涼たる光景を呈している。それにさ霧が立ちこめて、いつもとは趣を全く異にする。海人の負傷は火傷で非常にひどい。ことに背中は半分に及んでいるし、両腕にもかかっている。早く手当てを受けたいと思うが、一向救援の手は伸びそうもない。(略)
 傍らの道路を通りかかった人が「お宅の奥さんはその先におられますよ」と注意してくれたので、おどりあがらんばかりにうれしく、早速行く。八幡様から右へ入る道路のそば、自宅から十間ぐらいしか離れていないところにいた。自宅と目と鼻の間にいながら、もどる力はなかったのだろう。千代子は草原にしいた畳の上に臥せ、そばに宏人と由紀子が死んでいる。ああ、千代子は顔面、両腕、足に火傷を受けている。宏人は大した外傷もないようだったが、間もなく脳症を起し、手ににぎっていた木の枝をしゃぶって「さとうきびばい、うまかとばい」と云っていたそうである。吹き倒されたときは、下駄を失い、それを気にしていたそうである。そして時々「空襲ね?」と聞いたりしていたが、夕方、容態が悪化してあばれて死んだという。由紀子は顔に穴があいていたが、割合に機嫌よく、終始乳をのんでいたが、けさ方息をひきとったという。(略)
 昼ごろから海人は寒気がして、熱が出たらしく苦しみ出す。黙って寝ておれないらしく起きて坐る。何度も繰り返す。(略)
 足が冷えてくるようであり、さすって温めてやるが、絶望だと感ずる。そして、私が水を汲みにいってもどって見ると、千代子のそばまで這い出て来て、うつ伏せに死んでいた。「苦しい」といって出てきたそうである。(略)

8月11日
 妻と海人と私と、一人は死に、一人は死に瀕し、しめっぽい壕の中に夜を明かした。限りなく悲しい。朝になり海人を外へ運び出し、宏人と由紀子のそばに並べる。ここに兄妹三人の死体を炎天の下に並べることになった。(略)
 三人で材木を拾って組上げる。たくさんの木が要る。その上に海人達を運んできて乗せる。海人を中央にして、右と左に宏人と由紀子を並べる。海人にはみち子の寝巻の家のしたから出ていたのを着せ、その上に「一ノ六松尾」と布の縫いつけてあるズボンを載せる。宏人と由紀子とにもそれぞれ布をのせて、せめてもの慰めにする。三人の上に更にたくさんの木を積みあげる。三人の枕もとに私が火をつけ、心ばかりの火葬の礼をとり、同時に四方に火をつける。風つよく、すぐに炎々と燃える。(炎天下に燃えさかる火炎、たちまち吾子三人は火中にあり)私はすっかり精根尽きた気持ちで腰を下ろし、応援の人から煙草をもらって火をつける。やがて三人は帰っていった。(略)

8月14日
警報発令中であるため燈火もつけていない。その微かな光の中に千代子は坐って、盛んに何かかき口説くが如く話しているが、何といっているかわからない。(略)
いつまでも気が狂うたような状態であるので、強いて横に寝せると、父が催眠剤を与えていたのが利いてきたのかうつ伏せになったようにして、しずかな寝息さえ聞えてきた。足が冷たいようなので、下のほうに十分のせておく。しばらくそういう風にして傍らで見ている。警報中にて燈火が暗い。が、あまり静かになったので、気になり、時々寝息をうかがってみる。そして、何度も寝息をうかがっているうちに、ついに息を息をしていないことがわかった。時に午後九時頃。十八歳の時嫁いできて、十八年連添った妻。まことに感慨ふかく、涙がせきあげてとめどがない。その夜は添寝する。

8月15日
ついに妻と三児を失った。今日は妻の火葬をせねばならない。城山では火葬後、警察の出張所へ届け出ればよかったが、こちらでは、どんな具合か、市の出張所が長崎会館のそばにあるので、そこへ行く。市の方は出てきて羅災証明書を書いてくれたが、警察のほうは九時になっても出てこない。やっと出てくると空襲となり退避。仲々手間取って、やっと四枚の死亡証明書をもらう。焼くのは伊良林学校の校庭でよいという。(略)
 しばらく後、新たに人を焼くために校門を入ってきた人に何の放送かたずねると、日本の降伏だという。私たちは耳を疑い、そんなことがあるものかと思ったが、間違いないという。涙がとめどなく流れる。今になって降伏とは何事か。妻は、子は、一体何のために死んだのか。ああ、彼らは犬死ではないか。なぜ降伏するなら、もっと早くしないか。わずか五日か六日の違いで全く犬死ではないか。

  8月9日、松尾敦之は勤務先で原爆に被災する。家族は原爆投下の間近におり、瀕死の重傷を負い、次々に死んでいった。その様子を日記に記したのが上記の記録である。

 その時の思いを句にしたのが下のものであるが、日付を見ると昭和21年6月になっている。直後には詠めなかったのであろう。当然である。

   月の下ひっそり倒れかさなってゐる下か

あつゆきが自宅にたどり着いたのは夜になってからである。家の周りは焼け野原だが、あつゆきの家の近くだけは焼けてはいなかった。倒れた瓦礫の下を探し回るが見つからない。

   月の下子をよぶむなしくわがこゑ

   いまは、木の枝を口に、うまかとばいさとうきびばい

息子の宏人が死の間際、木の枝をくわえて「さとうきびばい、うまかとばい」と言って亡くなったと妻から聞く。話す妻も瀕死の火傷を負っている。その情景を思うと涙なしには読めなかった。

   わらふことをおぼえちぶさにいまもほほゑむ

末の子の由紀子は母親の乳をしゃぶったまま朝方なくなっていたそうだ。いまも微笑んでいるのは既に命を失った幼子である。死に顔が笑顔なのがせめてもの慰めなのだ。

   こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる
 (2児ばく死)


   すべなし地に置けば子に群がる蠅

木も家もない中で地面に二人の子どものなきがらを置くしかない父親の思いはどんなだっただろうか。追っても追っても蠅が子どもに群がってくるのだ。

   炎天下のいまはの水をさがしにゆく 
(長男亦死す)

   母のそばまではうてでてわるうてこときれて


あつのりが海人に会ったときはまだ元気だったが、翌日苦しんだ末母のそばまで這い出してきて事切れた。

   この世の一夜を母のそばに、つきがさしてゐるかは

   とんぼう子をやく木をひろうてくる

   やさしく弟いもうとを右ひだり、火をまつ

   ほのほ、兄をなかによりそうて火になる

   かぜ、子らに火をつけてたばこいっぽんもらうて

三人の枕もとに私が火をつけ、心ばかりの火葬の礼をとり、同時に四方に火をつける。風つよく、すぐに炎々と燃える。(炎天下に燃えさかる火炎、たちまち吾子三人は火中にあり)私はすっかり精根尽きた気持ちで腰を下ろし、応援の人から煙草をもらって火をつける。(日記)

   あさぎりきょうだいよりそうた形の骨で

   あはれ七ヶ月のいのちの、はなびらのやうな骨かな

「花びらのような命」というこの本の題名はここから採ったのだろうか。

   みたりの骨をひとつに、焼跡からひろうた壷

   まくらもと子をほねにしてあはれちちがはる


数日後になくなったあつゆきの妻であるが、それでも骨になった子どもに飲ませる乳がでてくるのだ。なんと悲しいことなのだろう。

 上の日記を読めば句が書かれたときの様子は自ずとわかる。読んでいるだけで胸がつぶれる思いがする。

 これらの句は直後の様子を詠んだものだが、あつゆきはその後も事あるごとに、このときの思いを詠んでいる。


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