行人塚の話   2008年4月9日

 「川中島の民話発掘と絵本つくり」という活動をしているが、その中の民話(伝承)の行人塚とは以下のような話である。

 川中島の駅を降り、右手を見るとJR川中島の建物が見える。その中庭を入っていくと人の背丈ほどの石垣の上に三つの石の祠が並んでいる。この中央にあるのが行人塚の祠である。


 昔、ひとりの行者が川中島にやってきた。行者というのは、寺を持たずに托鉢をしながら修行している僧のことを言うのだそうだ。その行者は毎日村の家を回ってお経を唱えては托鉢していたが、やがて村のはずれに一軒の粗末な小屋を建ててそこに住むようになった。

 行者は托鉢しながら村人の相談に乗ったり悩みの手助けもしたそうだ。隣同士の争いごとがあると仲裁し、田植えが遅れている百姓の手伝いをした。別れ話があると、仲を取り持ったりもしたので、次第に村人の信頼を得るようになった。

 あるとき行者は何を思ったのか、家の前の土を堀り、小さな山のようなものを築きはじめた。
 村人は不思議がって「行者さん、急に何を作っていなさる?」と聞くと「人が入れる塚を作っているのじゃ」と答えたので、ますます不思議がって「人が入る塚など作って一体何をするおつもりですな」とたずねたそうだ。すると、行者は「わしはこの中に入って修行するつもりじゃ。漆を飲みながらお経を唱えると生きながら仏になるといわれている。わしはかねてから活仏になることをねがっていたので、塚を作って、中で修行を積むつもりじゃ」といって仕事を続けたそうだ。

 やがて、そこには小さな塚が出来、入り口には大きな石が置かれた。行者は村人を集めると、入口に立って村人に挨拶した。「村の衆、長い間お世話になりました。拙僧はこれから塚に入り修行を続けます。修行半ばで外へでると修行はかないませぬので決して入り口を開けてはなりませぬ。拙僧が中に入ったらその石で入り口をふさぎ、土をかけてくだされ」そう言うと行者は経文と漆の入ったつぼを持ち塚の中に入ってしまった。

 村人は行者に言われたままに大きな石で入り口をふさぎ、上から土をかけたところ、入り口の上からなにやら竹の棹のようなものが突き出しているのが見つかった。「これは何だ?」と話しているうちに、一人の年寄りが「これは息をするための空気穴に相違ない」といった。みんなは「なるほど」を納得した。

 それから一週間ほどして、一人の男が真夜中に塚の前を通りかかると、中からなにやら人の声が聞えてきた。男は気味が悪くなり家まで走って逃げ帰って、翌朝そのことを村人に話した。
 次の夜、村人達は誘い合って塚の前にやってきた。静かに耳を澄ませると、塚の中から微かな声が聞えてきた。そばによって聞くと「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と唱える声は行者の声であった。それを聞いた村人は「行者さんの言ったとおりだ。確かに生きておられる。このようすでは生き仏になるに違いない」と言って感心した。
 翌日から村人は塚にのぼり筒穴から聞こえてくる行者の声を聞きながら自分達も一緒に念仏を唱えたそうじゃ。

 そうやって毎日交代で塚にのぼり、念仏を唱えていたのだが、そのうちに塚の中から聞こえる念仏の声が次第に小さくなっていき、いつか聞こえなくなってしまった。「行者さんは死んでしまったのだろうか」と心配する人もいたが、「決して入り口を開けてはなりませぬ」と言われていたので、心配ではあったがそのままにして、お参りだけをしていた。

 それから、どのくらいか過ぎたある日、このあたり一帯を大きな地震が襲った。後に「善光寺大地震」と呼ばれた災害である。この地震のため虫倉山が崩れ、犀川が土砂で埋まってしまった。犀川の水はせき止められて大きなダム湖が出来た。ダム湖はどんどん大きくなり明科の近くまでつづく湖になった。
注)この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第431号)

かばたゆきおさんの
ホームページより
引用させていただきました


 地震から二十一日目のことである。今まで水をせき止めていた土砂が崩れ落ち、たまっていた水がものすごい勢いで下流に襲いかかった。洪水は小松原から川中島に押し寄せ、家や木は押し流された。行者が入っていた塚もこの水のため、下流に押し流されてたのである。



 弘化4年5月8日のことである。
 川中島を南北に通っている北国街道の西側にある唯念寺の本堂でお経を上げていた住職は、遠くからなにやらものすごい音が迫ってくるのを聞き、何事かと外をのぞいて驚いた。庭に泥水がすごい勢いで流れ込み、木や草やゴミなどがたくさん流れてきた。地震の土砂崩れで犀川がせき止められたのを知っていた住職は「さては犀川の土砂が崩れたに違いない」と気づいた。大急ぎで支度をしてよくよく見ると、人らしきものが流れ着いて杉の木に引っかかった。「これは大変だ。助けなければ」と弟子達をつれて泥水の中を杉の木まで進むと、人間だと思ったのはなんとミイラだった。住職はミイラを大切に木から下ろし、庫裏まで運び、家の中にそうっと寝かせた。
 そのミイラが同じ村にいた行者だと知った住職は、水が引くのをまって絵師をつれてきてそのミイラの絵を描いてもらった。

 住職は絵師が描くのを待って、ミイラをねんごろに葬り、お葬式をあげて墓を作った。


 唯念寺には今でもその時建てた石塔が残っている。また、絵師が描いたミイラの絵が大切に保存されていると言うことだ。


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