チベット問題を考える    2008年5月7日

 ゴールデンウイークが終わって中国の故錦濤主席が日本を訪問した。だが、日本の世論は反中国になっている。チベット問題以降マスコミが反中国に傾斜したこともあって中国問題は反中国の論調を中心にして語られている。

 そこで自分なりにチベット問題の経過を整理してみた。

@ 今回のチベット問題はラサでの暴動がきっかけになって世界に広がった。暴動は自動車を焼き打ちしたりたり家に火をつけたりした。それによって何人かが死んだりけがをした。それに対して中国軍が発砲して多数の犠牲者がでた。この事件をきっかけに北京オリンピックの聖火リレー(中国政府当局)への抗議がヨーロッパを中心に世界中に巻き起こった。

A 中国は「これはダライ・ラマがしくんだ暴動であり許せないし、対話にも応じない」「中国への抗議行動は内政干渉である」との姿勢をとった。

B ダライ・ラマは「中国がオリンピックをおこなうことは支持する」「チベットが中国の一部であることは認めるし、独立運動をするつもりはないが、チベットが完全な自治権を持つことを要求する」「中国は我々との対話に応ぜよ」「抗議は暴力的であってはならない」といっていた。

C 日本では長野で聖火リレーが行われ、当初出発点だった善光寺が、チベットで宗教弾圧が行われていることをもって、出発点になることを辞退した。

D 聖火は出発地点が変更され、勤労者福祉センター跡地から出発したが、中国人留学生が数千人集まり大きな中国国旗を掲げて聖火のの周りを取り囲んで走った。チベットの旗を掲げたチベット人やそれを応援する日本人も集まってきて抗議の声を上げたり、示威活動をしたが、外から見ると中国人留学生の大群に圧倒された。地元や日本人の観客はたくさんいたのだが、中国人留学生のあまりのいきおいに弾き飛ばされ、当日の主役ではなくなったように見えた。チベットを応援する人や平和を願う人たちは善光寺で犠牲者追悼の法要を行った。

E これらの経過の中で多くの新聞やテレビの論調は「チベットは中国軍によって弾圧された」「一党独裁国家の中国はチベットの民族独立権を奪い民主主義を封殺している」「中国はダライ・ラマとの対話をせよ」「北京オリンピックの開会式への出席を取りやめるなども考えるべきだ」などの主張を繰り返した

 以上大まかな整理をしてみた。
 チベット問題についてはさまざまな人がさまざまな角度から論じているが、私にはもうひとつよくわからない。そこでこの問題を論じているいくつかのブログを一部引用してから私なりの判断をしようと思う。

 浅井基文ホームページ

 私が、チベット問題のような外国で起こる人権問題に関して、私たちがどのような視点を持って臨むのかという点に関して、質問者の方に答えたのは次のようなことです。

 第一にはっきり確認しておく必要があることは、人間の尊厳、人権・民主という普遍的価値に対する確信について動揺・妥協することがあってはならない、ということです。この点についてはこのコラムでも縷々述べたことがありますので、改めて詳説する必要はないでしょう。

 第二に、同時に国際関係にともすれば迂闊になりがちな私たちが忘れてはならない重要なことは、国際社会という社会は今日なお未成熟な段階にあるという認識を持つ必要がある、ということです。つまり、国内社会のようには人権・民主の基準に基づくルールで規律する仕組みが確立されるにはほど遠い段階にある国際社会では、人権・民主をストレートに当てはめるような仕組みはまだ初歩的にもできあがっていないということです。国際民主主義という場合にも、国家関係の民主化ということが今日なお基本的に要求されるのであり、個人の人権を普遍的に擁護するための仕組み・ルールはできていません。国際的に個人の人権を守ると称して「人道的介入」が主張されることもありますが、確立した国際的ルールとして認められるには至っていないのが、国際社会における厳然たる事実です。確かに国際的に人道的介入と称した行動が取られることがありますが、それは大国の利害が衝突しない場合に限られるのであり、大国の利害が絡んでくる場合には人道的介入は行う余地がほとんどと言っても過言でないほどにありません。私は、いまだ未成熟な国際社会を前提とするとき、国際関係において二重基準が横行することはもっとも好ましくないことだと考えています。
 この問題については、昨年中高校生向けに書いた『国際社会のルール@ 平和な世界に生きる』(旬報社)で詳しく扱ったことがありますので、これ以上は立ち入りません。

 第三に、チベット問題そのものに即していえば、すでに1.で述べたように、果たして「中国当局の理不尽な人権弾圧」と一方的に決めつけることが妥当なのかについて、私はかなり疑問があります。
 更に付け加えていえば、中国の改革開放政策がチベットだけは除外していると考えることは極めて非現実的です。青蔵鉄道の開通は、明らかにチベット経済を振興し、チベット人の生活向上を招来する意図に出たものでしょう。それがチベット文化を破壊し、チベット人の伝統的生活を損ない、漢族の流入を招く結果を招いているとの副作用があるとしても、その功罪については冷静に評価する必要があると思います。
 チベットを経済的に振興するのはけしからん、という主張が無条件で成り立つのであれば、新自由主義の下で破壊されつつある世界経済そのものをまな板に乗せるだけの一貫性がなければなりません。しかし、利益一本槍の新自由主義と比較すれば、中国政府のチベット経済振興・チベットに住む人びとの生活向上を目指す政策の方が、人権・民主を真剣に考える立場からいって、はるかに非人道的でない、と私は考えるのです。

 第四に、私たち日本人が果たしてどれだけ人間の尊厳、人権・民主を我がものにしているのか、という問題についても、私は考え込んでしまうのです。後期高齢者医療制度、障害者自立支援法、少子化の時代に直面してなお進行する小児・産婦人科医療の崩壊、農村の崩壊等々、日本において進行している人間の尊厳を踏みにじる政治の横行、映画『靖国』の上映に対する妨害・自粛、反戦ビラに関する最高裁の不当判決などの最近の事例に見られる反人権・反民主の進行、日本社会は真底病んでいます。もちろん、そのこと故にチベット問題に口を閉ざせ、ということを言いたいわけではありませんが、少なくとも「人のふり見て我がふり直せ」ではないかと思うのです。居丈高に中国の現状を糾弾する日本のジャーナリズム・世論状況を見ていると、私は何ともいたたまれない気持ちになっています。

 以上を要するに、国際的なレベルで起こる人権関連の問題について、国際的に広く適用できる解決の道筋はできていない、ということを私としては指摘する必要を感じるのです。ケース・バイ・ケースで考えていかなければならないし、チベット問題もその例外ではない、ということを確認したいと思います。ましてや、中国脅威論を増幅するためにチベット問題をも利用するというような悪質な企てに私たちが心を乱されるようなことがあってはならない、ということは、強く指摘したいと思います。


編集者が見た日本と世界

 民族自決権という問題もそうだ。レーニンは、革命直後に出した布告で、それまでロシアに属していた諸民族に対し、完全な平等と分離・独立国家建設の自由を認めた。ロシア以外の諸民族は、それまで国際社会で独立国家として認められたことはなかったが、そういう民族にも独立の権利があるとしたわけだ。社会主義とはそういうものだということが、私の確信となった。

 中国のチベット問題での対応というのは、だから、少なくとも私が確信している社会主義の対応とは全く異なる。当時のロシアの諸民族と比べても、チベットは独自の政治、社会、宗教の伝統をもってきた。ところが中国の対応は、民族の自決を尊重するどころか、ただ中国の従属下におくことだけを優先させているように見える。

 中国が社会主義ではなく、ふつうの覇権国家だというなら、「国家というのはそういうものだよね」と我慢できるのだ。反日デモなどを見ても、ナショナリズムということでは日本も中国も同水準だねといって、両方を冷静に批判できる。
 だが、仮にも社会主義だというなら、私は、その国が低い水準のままでいることを許せない。国際世論におされてようやく少しだけ動くというのでは、他の覇権主義国家とあまり変わりがない。
 そういう国が社会主義を自称している。日本でも、中国は社会主義だということが、左右を問わないほぼ共通の認識になっている。

 チベット問題でも、チベットの民族自決権を肯定しようとしない社会主義者がいる。レーニンだって、民族自決権と独立を認めたけれど、実際の政治の動きでは、対等・平等に各民族が同じソ連に属することになったわけだから(対等・平等という点はスターリンによってくつがえされたが)、自決権を認めることと現実に独立に至ることには距離があるのに、なぜだか、チベットの自決権は認めたがらない。
 いつまで社会主義は冬の時代でありつづけるのだろうか。

世に倦む日々

 あと三ヶ月後に北京五輪は始まる。四ヵ月後に北京五輪は終わる。その間に言うところの「対話」が実現できなければ、そして「高度の自治」を具体的に保障する両者の合意ができなければ、北京五輪後のチベットはどうなるのだろうか。もしもダライ・ラマ14世が言っている言葉が真実であるなら、すなわち「チベット人の自治と幸福のためには中国人の理解と支持が不可欠である」という主張が看板ではなくて真実であるなら、今度の暴動以降の政治は、結果的にチベット人にとってよかったと言えるだろうか。北京五輪を人質にした国際圧力の政治で「対話」を実現しても、それは本当にチベットの実力ではないし、中国政府に対する恒久的な圧力にはならない。何か「対話」や「合意」ができても、北京五輪後に反故にされる可能性は十分にあり、そのとき国際社会は現在のようにチベットを応援するとは限らない。「人質」のなくなった中国政府は強い立場に出ることができる。

 日本の右翼は、単に中国共産主義体制の打倒をめざして騒ぐだけで、チベットは政治で利用する道具であり、本当にチベットの平和や幸福に責任を持っているわけではない。私は、昨日(4/20)の善光寺のスプレー落書き事件は右翼の陰謀ではないかと疑っている。中国人か中国寄りのシンパの犯行に見せかけた右翼の謀略で、その意図は善光寺の「英断」をさらに聖化し、善光寺に批判的な少数世論を異端化して圧殺することである。4/26を前に聖火リレー妨害行動を正義の行為として全面的に正当化するためである。日本中を反中反共イデオロギーが暴力的に沸騰する坩堝にして、中国の政府と国民を挑発し、二年前の「反日デモ」を再現させようと企んでいるのではないか。福田首相の後に出てくる麻生太郎に北京五輪開会式欠席、あわよくば北京五輪ボイコットまで持って行こうと考えているのではないか。陸軍参謀本部の諜報機関が上海事変を惹き起こす口実のために中国人を買収して現地で日本人僧侶を襲撃殺害させた謀略史を想起する。



田中宇ブログ

 
 チベット騒乱は、欧米の扇動によって起こっている可能性が高い。ダライラマは、むしろ止めに回っている。それなのに中国政府は「騒乱はダライラマ一派が画策した」と、ダライラマばかりを非難し続けている。中国政府が、こんな頓珍漢を言い続ける裏には、おそらく「中国の国民に反欧米の感情を抱かせたくない」という思惑がある。中国政府が「米英の諜報機関が、チベット騒乱を扇動した」と発表したら、中国の世論はすぐに欧米を敵視する傾向を強め、反欧米のナショナリズムの嵐が吹き荒れる。これは、中国と欧米との協調関係を崩し、敵対関係に変えかねない。

 そもそも中国が北京オリンピックを成功させたい最大の目的は、欧米から好まれ、尊重される大国になることである。欧米は中国を尊重し、中国人は欧米を尊重する、という状態にすることが中国政府の目標だ。欧米が陰湿な画策によってオリンピックを潰し、中国人はそれを知って欧米敵視のナショナリズムにとりつかれるという展開は、中国政府が最も避けたいことである。

▼マスコミが軽信されるとハイパー独裁に

 3月14日にチベットの中心都市ラサで始まった暴動では、チベット族が漢族の商店を焼き討ちして店内にいた住民が焼死したり、チベット族がよってたかって通りすがりの漢族を殴ったりした。これらの光景は、中央テレビなど中国のマスコミで繰り返し報じられ、中国人(漢族)の多くは「チベット族は、勤勉な漢族をねたんで暴動を起こした」と考え、中国当局がチベット人を弾圧することに賛成している。

 これは911テロ事件後、アメリカ人の多くが「アラブのイスラム教徒は、自由と民主主義を成功させて発展するアメリカをねたんでテロを起こしたんだ」と考え、ブッシュ政権がアフガン侵攻やイラク侵攻を実行することに賛成したのと同じ構図だ。

 中国のマスコミが「チベット族がラサの漢族を殴り、焼き殺した」と繰り返し報道したのは世論を誘導するためであるが、同様にアメリカ(欧米)のマスコミは911後、アルカイダやサダム・フセインがいかに悪者かを誇張して報道し、誇張や歪曲は今も続いている。日本のマスコミは、アメリカの報道を鵜呑みにして翻訳している。

 中国人の多くは、自国のマスコミがプロパガンダだと思いつつも影響されているが、欧米人や日本人の多くは、自国のマスコミが真実を報じていると勘違いしており、事態は欧米日の方が深刻だ(ブッシュ政権のおかげで、最近は報道に疑念を持つ人がやや増えたが)。

 国民にうまいことプロパガンダを信じさせた上で行われている民主主義体制は、独裁体制より効率の良い「ハイパー独裁体制」(ハイパーは「高次元」の意)である。独裁国の国民は、いやいやながら政府に従っているが、ハイパー独裁国の国民は、自発的に政府に協力する。その結果「世界民主化」の結果であるアメリカのイラク占領に象徴されるように、独裁より悪い結果を生む。

▼民主化や人権、環境問題で後進国を蹴落とす

 チベットでの騒動に対し、欧米のマスコミや政治家が中国を非難するので、中国では、欧米に対する敵意や嫌悪感を表明する人が増えている。

 中国人の多くは、歴史観として、1840年のアヘン戦争でイギリスなど欧州列強が中国(清朝)を打ち負かして以来、欧米や日本は、中国の弱みにつけ込んで侵略や国家分断を挙行し、チベットやモンゴルや台湾の分離独立を煽り、民主主義や人権を口実に中国を非難し、中国の安定や成長を阻害して、中国が大国になることを防ぐ策略をやり続けてきたと考えている。

 欧米や日本の人々は、中国人が共産党政権下の歴史教育で洗脳されていると思っている。だが、実際のところ、先に強い先進国になった欧米が、後進の中国やイスラム諸国などに対し、民主主義や人権、環境などの問題で非難を行い、あわよくば経済制裁や政権転覆をして、後進国の安定や経済成長を阻害し、大国化を防ぎ、欧米中心の世界体制を守ってきたのは事実である。日本も戦前は、欧米に対抗して大国になる努力を行った挙げ句、第二次大戦を仕掛けられて潰された(だから日本政府は欧米の謀略の怖さを肝に銘じ、戦後は対米従属から一歩も出たくない)。

 先に強くなった国が、後から強くなろうとする国に対し、いろいろ理屈をつけて蹴落とそうとするのは、弱肉強食の国際政治としては、自然な行為である。先に強くなった国は、国内政治手法も先に洗練でき、露骨な独裁制を早く卒業し、巧妙なハイパー独裁制へとバージョンアップできる。その後は、露骨な独裁制しかできない後進国を「人権侵害」の名目で経済制裁し、後進国の追随を阻止できる。最近では「地球温暖化」を理由とした経済活動の制限という、後進国妨害戦略の新たな手法も編み出されている。

 このような国際政治の裏側を考えると、欧米がチベットでの人権侵害に関して中国政府を非難することに対し、中国人が「また欧米が攻撃を仕掛けてきた」と敵意を持つのは当然だ。


  伊豆利彦ホームページ
 1950年にチベットは中国に侵略されたというが、中国は人民民主主義の発展として、ダライラマを頂点する農奴制を変革し、奴隷解放を実現したのだということもできると思う。この革命にはチベット人民も加していて、チベット自治政府の幹部はチベット人だ。台湾に逃亡した国民党政府と同様に、ダライラマとともにインドに逃亡したのは10万の地主階級で、100万の農奴が解放されたのだという。アサヒニュースターのパックインジャーナルで田岡俊次がダライラマが中国に帰ってくるときは、この10万の奴隷主たちも帰って来ることになるので、問題は単純ではないと述べていた。中国から亡命したダライラマ一派はアメリカのCIAから資金を供与されていたという。ウィキペディアには「ダライ・ラマ14世側はCIAから17万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。」と記されている。

CIAといえば、今度の聖火妨害の先頭にたつ国境なき記者団もCIAから資金を供与されているとウィキペディアには記されている。アメリカと中国は経済的に深い結びつきがあるが、米中対立もまた根深いのだ。<自由と民主主義>はアメリカの金看板だ。この旗を立てたGPOやマスメディアはもちろんアメリカの政治的、経済的支配下にある場合が多いことは断るまでもない。こうしてみると、今度の騒ぎを単純にチベット人民の抗議とだけみることはできないと思う。参考のために解放後間もなくのチベット人共産党員の文章を紹介する。

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解放された農奴は毛主席を永遠に忘れない
チベット族 ルンチェンワムジ

 わが国の西南辺境によるチベットは、解放前には、最も反動で、暗黒で、残酷で、野蛮な封建領主農奴制度の支配下にあった。毒ヘビのような三大領主(チベットの地方政府、寺院、貴族)のあくことのない抑圧と搾取のもとで、農奴はその血と汗を吸いあげられた。たびかさなる労役は農奴の体をむしばんだ。空は高いが農奴を腰を伸ばす権利を持っていなく、土地は広いが、農奴には一寸の土地ももてなかった。口をきく道具としての百万の農奴は、牛馬のようにこき使われ、鞭うたれ、売買され、殺害された。そればかりか、年中飢餓・死線をさまよっていたのだ。私の故郷であるヒマラヤ山脈の北のふもとにある貧しい村を例にとろう。解放前の四、五十年の間に、この村の貧しい住民―― 一八三戸のうち五十五人が村をにげ出し、十八人が三大領主のために殺され、二十八人が馬小屋や道端で餓死した。わたしの一家は先祖代代奴隷だったから、人間らしい生活をおくったためしがなかった。チベットの農奴が強いられていた境遇は、世界でもまれにみるものであった。

 待ちに待った救いの星――毛主席と共産党が、私たちを解放してくださった。毛沢東思想にみちびかれて、わたしたち百万の農奴は立ちあがった。奴隷の首カセをうちくだき、三大領主をうち倒し、封建農奴制度をくちがえして、幸福な社会主義社会への道を踏み出したのである。祖国のチベットはすっかり変わった。かつて、われわれチベット族の政治、経済、文化は長い年月にわたり、停滞と衰退の状態にあった。農業も畜産業も衰退の一途をたどり、衣食の需給さえ不可能であった。工場は皆無にひとしく、資源にめぐまれる百二十余万平方キロにのぼるチベット高原では、ネジ釘もマッチもつくることができなかった。しかし、いまはちがう。農業、畜産業を営む人民公社がチベット高原にあまねくでき、農業は年々豊作をおさめている。かつて作物はつくれないといわれていた海抜四、五千メートルをこえているのである。工業も発展し、人跡まれな雪山のところに近代的な工場がつぎつぎに新設され、しかも、タカも巣をつくらない谷間に、公路や橋が新設されている。渓流をはさむへんぴな谷間にも水力発電所が建設された……。


 ここに挙げているブログはどれも私が愛読しているもので、日本の民主主義を願っている人ばかりである。だが、書かれている内容はかなり違っており評価は大きく違っている。

 ここに引用した文章はそれぞれのブログのほんの一部なので、これをもって全体を判断することはできないが、これを読んだだけでも私がチベット問題をほとんど知らなかったことがよくわかった。また、たくさんの疑問も生じた。

@ チベットの暴動とその後の聖火ランナーへの抗議活動ははたしてCIAなどの国際謀略組織が仕組んだものなのだろうか。抗議活動に参加した多くの人はCIAを知らない人に違いない。

A 中国はなぜダライ・ラマとの対話をあれほど拒んだのだろうか。(どうして対話に応じたのだろうか)

B ダライ・ラマが言っていること(「チベット独立は要求していない」「暴力での抗議活動は支持しない」「中国でのオリンピック開催は当然である」など)は本心なのか。ここに言われていることは至極もっともなことだと思う。

C ダライ・ラマが要求している「完全なる自治」「民族文化の尊重」とは具体的にはなにをさしているのだろうか。中国政府のチベット政策はどのようなものであるのか。チベット住民弾圧一辺倒なのだろうか。
現在、自治がどのように侵されているのだろうか、文化がどのように破壊されているのだろうか。不勉強で肝心なことが分からないので、評価しようにもできない。

D ダライ・ラマや亡命政府の人々の主張は本当にチベット住民の願いなのかがよくわからない。伊豆さんのホームページによれば、亡命政府のひとは嘗ての支配者であるという。そうだとしたら、彼らの自治は嘗ての支配の復活だろう。


 このような疑問を解明しながら自分なりに行動しようと思っているが、軍隊や暴力による暴動や弾圧には反対したい。なぜなら、それは中国にとっても決してプラスになると思えないからである。
 


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