住民自治総会で「北原大仏」「行人塚」を発表    2009年4月25日

 川中島住民自治協議会総会があった。(この組織については説明が必要であるが、別の機会に掲載する) ここでひとミュージアムが作成した二つの話をさせてもらった。いずれも絵本つくりの活動から生まれたものだが、プロジェクターで編集して報告した。
 北原大仏は史実の不明なところは創作して作った。朗読を笠原和子二お願いした。

北原大仏物語


1、むかしむかし、ずっとむかし、あさま山がばくはつしてね。山からまっ赤ないわや、どろどろ にとけたいわがとび出して、家をたおしたり、田んぼやはたけをだめにしたり、人をしなせた りしたの。

2、ばくはつが終わっても、灰が空じゅうに広がって、雪のようにふってきて、いねややさいの 上につもってね、はらってもはらってもふってきてね、太陽もぼうっとして見えなくてね。米も  やさいもよくみのらなくて、たべるものもなくなってしまったの。あさま山のまわりのひろいひ ろいばしょに灰がふったの。

3、武州というところに、油をうっている大きなお店の主人と、綿をうっている大きなお店の主人がいてね、このふたりは「あさ山ばくはつでみんな困っています。あちこちのほ けさまをま わっておがんだんだって。そうして江戸にいったんだって。江戸のひとたち
 もやっぱり元気を なくしていることがわかってね。「どうしたら、みんなが元気になるだろう」といろいろ考えて、大輪坊をいうえらいぼうさんに「まんとかみんなが元気になりますようおまいりしてください」 とおねがいしたんだって。

,大輪坊さんも「わたしも浅間山のふもとの 上州や信州のみなさの困っているようすは聞いております。みんなのために善光寺におまいしたいと思っていたので、仏さまを作って、みなさまをおなぐさめしまょう。」といわれたって。ふたりはとても喜んで、さっそくまわりの人ちに話し、お金を集めて回ったんだって。

2、大輪坊さんは せっかくつくるのだからと、仏さまつくりの名人 けんりゅうさんにたのみ、大きな大きな仏さまつくりにとりかかったって。ふとい木をえらんで、ノミという道具で けずって作っていくんだよ。あまり大きいので仏さまのあたまだけ江戸でつくって、からだはあとでつくることにしたんだって。

3、仏さまのかおは とてもやさしいおかおにできあがったの。「こまっているのはおまえがなまけているからだ」としからないで、苦しいこともみんな聞いていただけそうと、おがんだひとは思ったみたい。おおぜいの人がおまいりに来たって。

1、「大輪坊さまが この仏さまと信州の善光寺まで 旅をなさるのだそうだ」と人から人へつたわって、旅の中でもおおぜいの人がおまいりに来たんだって。

2、さて、今井村北原に 松屋きへいという人がいたの。この人のずっとずっとまえのごせんぞさんは 川中島のたたかいにつれていかれてね、たたかいのとちゅうでたおされて死んでしまったんだって。でも、そのおそうしきがすんでいなくてね。きへいさんはずっと「ごめんなさい」と思っていたんだって。たたかいで死んでしまっても、おそうしきをしていない人がおおぜいいてね「たたかいで死んでしまって悲しかったですね。わたしたちが、がんばって田や畑をつくっていきます 安心してください」とおしょうさんをたのんでおまいりをしたいと ずっと思っていたんだって。

3、きへいさんは大輪坊さんにお願いして、川中島のたたかいで死んだ人全員のおまいりをしていただくことにしたんだって。仏さまのからだもできあがり、お堂もできて、大ぜいの人があつまって、敵のひとも味方の人もいっしょにして、死んだ人の心を思っておまいりしたんだって。そのうちに この大仏さんはねがいをきいてくれる大仏さまだ というひょうばんが伝わって、善光寺におまいりする人が北原の大仏さんもおがむようになり、北原はとてもにぎわうようになったんだって。



BACK NEXT 通信一覧