長野合唱団第45回定期演奏会    2009年06月08日

 おととい(6月8日)ホクトホール(県民文化会館)中ホールで長野合唱団の定期演奏会があった。
昨年も聴きに行ったので今年もおおいに期待して行った。

 昨年は林光の曲がメインの一つになっていて、これがとても良かった。その印象が強かったので林光指揮の東混(東京混声合唱団)の原爆小景を聴きに行った。

 今年は指揮者を注目していた。昨年と同じ花岡由裕さんだが、この指揮者の長時間インタビューを読んで興味を持ったからだ。昨年も指揮には注目していたが、この記事を読んでから俄然興味が増した。本当ならそのインタビューを全文引用したいところだが、あまりに長いのでそれはやめて、私が特に注目した部分を引用してみる。

指揮の練習について

  指揮の練習はですね。まず振る音楽の分析をするんですけれども、その曲が例えば合唱曲だったら歌詞がついているじゃないですか。基本的にその歌詞の読み方と歌詞の意味を調べて理解して、それがどういうふうに音楽と結びついているかを楽譜から読み取る作業をします。
 作曲家の意図というか、彼らがどういうふうに歌詞を解釈して音楽に表現しているか。それから楽曲分析ですね。どんなハーモニーが使われているか、どういう和声進行になっているか、どの旋律が重要なのか、どこで場面転換が行われるか等々。そういう分析をして、それから各声部を良く知るためにそれぞれの声部を歌ったり、ある声部を歌いながら他のパートをピアノで弾く練習をします。
 だからまずコーラスの練習に持っていく前にもうすでに音楽を誰よりも知っていなければいけません。練習のときにはすでに頭の中で音楽が鳴っていて、間違っている部分を指摘したり、自分がどういう音楽をつくっていきたいのかを伝えていくわけです。あと担当教授との個人レッスンでは教授がピアノを弾いてくれて、それを指揮しますね。それで先生がアドバイスをくれるわけです。自分では気付けなかった音楽的な解釈を気付かせてくれたりします。
 僕の担当教授は生徒自身に良く考えさせる人で、よく「何を考えて振るのか」とか、「何を感じるのか」という指摘をうけます。そのおかげで合唱団の前で振る時には自分らしさ、自分の音楽を表現できるようになってきます。

帰国後の抱負
 
 そうですね。日本に戻ろうと思っています。日本にはアマチュア合唱団が沢山ありますしね。東京と地元の長野の合唱団のいくつかを振れたらいいなと考えています。僕が日本でお世話になっていた指揮の先生が、「日本には沢山の児童合唱団や大学の合唱団、アマチュア合唱団はあるけれども、その橋渡しがない。小さい時からずっと音楽を勉強していけるような学校をつくりたい。」とおっしゃっていて、それのお手伝いが出来たらいいなと思います。
 すでに長野県では何人かの知り合いと合唱団を作る話をすすめています。スケジュールやボイストレーナーの依頼等着々と準備はすすんでいます。僕が帰ったらすぐに合唱団が始動できるようになっています。最初は合唱団を振る機会が少ないかもしれませんが、いろんな指揮者の先生や合唱団を訪ねて団員として歌いながら下振りを続けていきたいと思います。その下振りによって認められていけるためにも今頑張らなくてはと思ってます。

歌い手の個性とまとまり

 日本では合唱団という大きな団体にいるとどうしても自分の存在が埋もれてしまう風に考えがちなので。僕が日本の大学時代、指揮者の時によくやっていたのは、アンサンブルですね。各パート二人くらいの少人数で歌わせていたりしたんです。そうすると自分がどう歌いたい、表現したいという事もはっきりしてきます。そのあと合唱に戻ると全体がかわってくるんですね。合唱団が50人いたとして、合唱というのは50分の1の感覚じゃいけないと思うんですよね。むしろ1×50で1の可能性がいっぱいあって、いろんな表現があって、答えが100にも 200にもなるようなそういうものを作っていかなきゃいけないと思います。
 まだまだ続くのだが、これだけ見ても大変面白いではないか。たとえば、「各声部を良く知るためにそれぞれの声部を歌ったり、ある声部を歌いながら他のパートをピアノで弾く練習をします」などは想像したこともなかったので「こんなこともするのか」という思いで読んだ。

 花岡さんの指揮はとても面白かった。まるで蝶が舞っているように、掌が開いてひらひらと踊っている。掌と指の動きが実に面白いのだ。多くの指揮者は拳をふりあげたり、指を突き出したりするのだが、彼はあまりそのようなことはしないで、掌で指揮をしているように見えた。
 特に左手が様々な指示を出している。よく見るとかなり細かな部分にも指示が出ていることが分かった。うたごえがその指示に従って様々な表情に変化するのを聞いているとじつに楽しい。また、左手が常に支持を出しているのでブランと下がりっぱなしになることがなかった。これは当たり前のことかもしれないが、気になることがあったので、その部分にも注目していたのだ。
 最初の三曲はよくわからなかったが「美しき青きドナウ」はとても良かった。最後の部分などは歌声が盛り上がって大変な迫力だった。私はこの合唱団がこれだけの音を出したことに感激した。

 私がもう一箇所注目したのは背中である。背中から肩にかけての力の入れ具合を注目してみていた。彼は私と同じような撫肩なので肩に力が入らないとぐっと肩が下がる。ずっと見ていたが、肩に力が入ることはほとんどなかった。フォルテの部分でも力は別の部分に入っていた。

 当然のことかもしれないが、指揮のよしあしは指揮者がどのような音楽をイメージしているかにある。指の使い方や腕の振り方は第二の問題だろう。指揮者がイメージした音楽をいかに歌い手に伝えていくかが、指揮の技術である。したがって、肩に力が入ったのでは上手く意思が伝わらない。それは野球のピッチャーが固くなると自分の思ったとおりの珠が投げられないのと同じなのだ。

 長野合唱団は毎年新しい曲に挑戦している。「五月の歌」などもその現われだと思うが、このなかには私がよく理解できない歌もあった。古い感性では理解できないが、若い人や新しい感性の持ち主には理解できるのだろう。来年は予習をして理解できるようになって聴きに行こうと思う。
 
 このような合唱団の意欲的な取り組みに拍手を送りたい。合唱団の皆さんが、若い団員を増やし、練習を重ね、一段と前進してくれることを期待している。

文中の引用は「音楽留学専門サイト」より


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