酒井慶二郎展   2010年4月14日

4月7日(水)から18日(日)まで酒井慶二郎展を開催している。飾っている絵は花の絵と野菜の絵で、水彩画である。さわやかな作品で嫌味がない。酒井君は自閉症であるが今年二十歳の明るい若者である。出身は諏訪で水彩画は描き始めて数年になる。数年でこれだけの絵を描くのだからかなりの才能を秘めているのはまちがいない。

 見学に来た皆さんはこの絵を観て「すごい絵だ」「よくこれだけ瑞々しく描けるなあ」とほめてくれる。その言葉を聞くと私もうれしくなる。だが、その一方で、それだけでいいのだろうかという疑問も感じている。主催者の前だから悪口は言わないだろうが、まったく批判はないのだろうか。批判というと言い過ぎかもしれないが、注文などはあったほうがいいのではないかと思うのだがどうだろう。

私が思うに、彼の絵はまだ途上にある。これからどのように発展するかはわからないが、もし才能があるならば素晴らしい画家になる可能性があるように思う。

   

 いかなる天才であろうとも、生まれながらの才能だけでは大成しない。ゴッホにしてもピカソにしても修練してはじめて大画家になれたのだ。青木繁や棟方志功にしても大変な修業をしている。ただ、彼らは修業を苦痛と感じないところが私たちと違っているように思う。みづから求めてその道に飛び込んでいる。これは画家だけでなくスポーツ選手にしても演奏家にしても同じである。

 芸術家の多くは、当初こそ親が手ほどきしたり、助言することがあるが、ある程度の水準に達すると親や最初の師匠から独立してわが道を歩み始める。だが、慶二郎君は彼をサポートする人が必要になるだろう。それは大江光氏や山下清氏をみれば明らかである。彼らが才能を伸ばしえたのは大江健三郎氏や式場隆三郎氏の優れたサポートがあったからであることは間違いない。

 お二人のサポートの内容は詳しくは知らないが、次の点については参考になると思う。
1、サポーターの意見を押し付けなかった。
2、サポーター自身が非常に勉強し、芸術についての高い識見を身に着けていた
3、本人の作品を的確に評価し、励ました。
4、優れた作品を観る機会をたくさん作った。

 これは当たり前のようであるが、いざやるとなると並大抵のことではできない。
 1と3は矛盾しているようであるがそうではない。「ああやれ、こうやれ」というのは押し付けだが、「この絵のバックの色は深みがある」と指摘するのは評価であり、それが的確ならば、彼は前進するだろう。
 熊谷守一が二科会で指導していた時、いつも生徒を外に連れ出しては風景を描かせていた。自分は生徒と一緒に絵を描いているだけで、生徒の絵については何も教えなかった。それをみて周囲の人は「熊谷は自分で描いているだけで指導をしていない」と批判した。熊谷は「教えてもらって描く絵などろくなものでない」と言って平気だったそうだ。

 こんなことを考えていた時、森郎貘さんが見えた。展示を観た後、芸術家の修業について二人でこんな話をした。

森 「慶二郎さんの絵はなかなか面白い。ネギなどはいいね。花もいいしナスも面白い。」
田島 「この絵はもっと伸びるのではないか」
森 「棟方志功は思いつくままに描いているように見えるし自分でもそう言っているが、本当は大変な勉強をしている。釈迦十大弟子なども一気に描いたと言っていたが最近下絵が出てきた。綿密な構想で下書きをしてからそれを一気に彫ったのだろう。」
田島 「棟方の映像などをみると、猛烈な勢いで彫っているところしか見えないので、着想から一気に彫りにいくように思ってしまう。だが、本当はその準備がされているということか。」
森 「棟方の勉強はすごかった。おそらく鉄斎(富岡鉄斎)に次ぐだろうといわれている。」
田島 「それは知らなかった。加藤周一さんは鉄斎について『明治以後の日本の美術作家で最高の人だ』と書いていたような気がするが、私は鉄斎はよく知らない。」
 


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