井上ひさしの死に思う    2010年6月25日

 NHKで井上ひさしの追悼番組を放映した。「組曲ー虐殺ー」を中心にして井上の生涯を描き、彼の思いを描いていた。

    


 井上はそこで若者に対する期待を繰り返し述べていたように思う。若者が後につづくことを信じていた。

 若者に対する大きな期待は井上だけでなく加藤周一も同じ思いを抱いていた。期待というだけでなく、希望を見出していた。晩年、若者と老人の連帯を訴えたのはその証拠だろう。

 わたしは学生のころ中国文学のサークルに入り、魯迅を読んでいた。『狂人日記』の最後に「子どもを救え」とかかれていたが、そのことばがいつも問題になった。「魯迅は階級的視点が欠けていたので進化論に望みを託しているところが間違いだ」などと青臭い議論を唱えていたことをおもいだす。

 ケーテ・コルヴィッツもその生涯の最後の時期に孫(ユッタ)に対して「戦争は必ず人類が克服するだろう」と言っている。

 尊敬する彼らが揃って若者に対して深い信頼と期待を示しているのをわたしは不思議に思う。わたしは現在若者に大きな期待を描くことができないからだる。
 若者が大切なことはよくわかるし、そこに望みをかけることも必要だと思うが、若者はその期待にこたえることができるだろうか。


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