しかし それだけではないー加藤周一 幽霊と語るー  2010年7月12日

 昨日は参議院選挙だった。民主党が44と議席を減らして敗れ、自民党が51で第一党になった。民主党がこれほど破れるとは思っていなかった。共産党は1議席減らして3で、社民党も2だ。公明党が9でみんなの党が大きく伸ばして10である。この結果については後で考えることにして、今日は加藤周一の死後作られた映画「しかし それだけではないー加藤周一 幽霊と語るー」について書いてみる。

   つい数日前、柴野徹夫さんが来訪した。夜、私は柴野さんから加藤周一から伝えられた言葉を話してもらった。加藤さんは彼と枕を並べて「柴野君、九条の会はたくさん出来、それはとてもいいことなのだが、ヨーロッパのサークルとは違う。本当に自立した個人の意志によって出来たサークルがどのくらいあるだろうか。私が期待しているのはそれなのだ。そうい意味ではまだまだだと思う。」と言ったということだ。加藤さんは九条の会が出来たことを喜びながらも、はるか遠くを見ていたのだ。

 長野にも九条の会はたくさんできた。だが、その多くは開店休業している。それは、そこに参加した個人が自分の意志で作った会ではなく、誰か権威のあるところが呼びかけて作られた組織だからかもしれない。「非核政府を求める会」「消費税をなくす会」など個人加盟の会もたくさん作られたがそのほとんどは上からの呼びかけでつくられた。そしてその多くは開店休業している。これらの会は事務局が計画を立てなければ休業してしまう。
それと同じことが九条の会にも見られるような気がする。加藤さんが懸念したのはそういうことではないかと思う。


 加藤周一の登場する舞台は東京大学付属病院の庭らしい。木が茂り、バックには古ぼけたコンクリートのビルがある。木立の中にベンチが置いてあり、その近くの椅子に腰を下してしゃべっている。

 後半は自宅で抗がん剤を飲みながらの話になるが、頬はやつれ、無精ひげが長く伸びて痛々しい。そうなりながらも撮影を許した加藤の姿は鬼気迫るようだ。

 この映画以外でも加藤は幽霊を何回か登場させている。それは若い日の親友であり、戦争で死んだ多くの人たちであることが多い。ここでは親友中西哲吉について語っている。彼は戦争に駆り出されて死に、加藤は戦争に行かず死ななかった。それは全く偶然であって、その逆であったかもしれないと語っている。
 中西が戦争に行ったのは決して彼の意志ではなかった。自分の意志に反して戦争に行って死んだ友人の思いは、二度とこのような戦争を行ってはならないと云うものだったに違いない。

 加藤は「我々生きている者は年々年をとるが幽霊は年を取らない。生きているものは当時戦争はこりごりだと思っても、年を経るに随ってその思いは薄らぎ、今では多くの人が「戦争があってもいいのではないか」と考えているように見える。だが、幽霊は死んだときから年を取らないから、何時までも考えが変わらない。私が友人を裏切らないという事は死んだときの友人の思いを持ち続けることだ」と語っていた。ここには加藤と同時に映画制作者の思いもある。

 この映画を見ていくつか考えさせられたが、最も印象に残ったのは、最後に加藤が言った言葉である。
「ある意味では明治維新以来の日本ではずっと通して、非人格化、非個人化、非人間化してきたんですよ。その代価を支払って、いろいろ経済発展や軍事的力を持つようになったんだけれど、何を犠牲にしてきたかというと、、、、、そういうことですね。人間らしさ、人間の作ったものの世界の中に再生産する、、、そのことを意識しなければならないでしょうね。そういうものを意識して相手と(敵と)闘うことになるんでしょうが、闘う前に何だか分らないものと闘うわけにいかないから、何が起こっているかを正確に知ることが必要でしょう。私が思想というのはそういうことです。本当のことを言えてはじめて「どうしよう」とことになる。過去に何があったかを伝えることが老人には出来る。老人の力はあるんですよ。事実はどういうものであったか、どう云うことが過去にあったのかをよく見定めていきたい。過去にあったことをよく見定めていくことが老人の任務だ。そして、それを伝えること。事実を突き付けることによって、意見を変えることができる。私もここに参加していきたい。

 この言葉は加藤さんの最後の最後の言葉として、私の中で極めて重い意味を持つ。


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