田中清光展をみる    2010年7月31日

 田中清光展が7月17日から8月1日まで、ホクト文化ホールで行われている。荒井一章さんからご案内をいただいていたし、最終日が迫っていたので時間のやりくりをして見に行った。

 田中清光という名前は私の中で別々に二人いた。一人目は町田長治さんが時々話してくれた田中清光さんである。彼は長治さんの叔父で、詩人で絵も描いているいる人である。絵は抽象画であまり大きくはないが大変美しい。町田さんは時々会って話すが、ものを深く考えている人だから貴方も会って話してみないかと誘われていた。私も是非そうしたいと思っていた。そして、先日、偶々同じ集まりに同席し、町田さんから紹介された。

 二人目は『月映の画家たち』―田中恭吉・恩地孝四郎の青春―の著者田中清光である。田中恭吉や恩地孝四郎は版画家でかねてから興味を持っていたので、この本は発売直後買い求め、読んでいた。だが、この田中清光と町田さん話した田中清光が同じ人とは全く気がつかなかった。

 ホクト文化ホールに入り作品を見はじめた時、いつか町田さんから聞いた言葉を思い出した。「彼が絵を描くきっかけになったのは東京大空襲だそうだ。大空襲当日,町をさまよい歩いた末、隅田川のほとりに出ると、向こうの空が真っ赤に染まっていた。その印象が強く焼き付いており、どうしても描きたいと思って絵を描き始めた」

 この話を聞いた時、私は違和感を覚えた。「東京大空襲といえば強烈な体験ではないか。その印象をデカルコマニーで果して表現できるのだろうか。私の頭の中には一方で加納光於の「稲妻取り」や「葡萄弾」があり、他方には丸木夫妻の「原爆の図」があった。この両者はどう結びつくのか?そう思いながら配布されたチラシをみると、田中さんがこう書いていた。

 「デカルコマニーは無意識の絵画表現といわれますが、じつは私は意識的な表現をするために、デカルコマニーの手法を援用したのです。そのことは、私の絵画のはじまりが「東京大空襲」であることで明らかと思います。「東京大空襲」はあの無辜の人々十万人を殺りくした残虐行為を私なりに告発し弾劾する目的・意図をもって絵にしたものです。」

 会場に入り、「東京大空襲」の前に立った時私の疑問は氷解した。

 此処に描かれているのは、間違いなく東京大空襲で真っ赤に染まった空に違いない。人間の手でいかに描こうとも表現できない空の赤がそこにあった。それは、嘗て一度だけ東京の空に出現したこの世のものでない空であった。

 何枚かの「東京大空襲」を観て、壁に張られた詩 「東京大空襲」を読んだ。

                      東京大空襲

                     少年時の親友Kに

 きみは姿を消した きみといっしょに
見慣れた帽子も 革靴も 姿を消した
下町の肉屋の看板 ショーケース コロッケを揚げた鍋 秤
古い柱時計 煤だらけの窓ガラス カーテン
小さな机 そこにあったコップ 壜
きみの書棚の少年倶楽部 週刊少国民 山中峯太郎『亜細亜の曙』
引出しに秘匿されていたビー玉 力士めんこ べえごま
鞄も 教科書 ノオト 剣道具
なにもかもが姿を消した

(中略)

きみはおそらく見ただろう 燃えさかるきみの町を きみの両親を
凶暴な炎につつまれ
さいごの目で 燃えさかる きみの愛していたすべての物 すべての人を
道を這いまわり 川面をすら舐めつくす炎のなかで
逃げ道を失って
きみは見たにちがいない
地獄を 本物の地獄
一面火の粉を噴き上げる地上 焼け焦げる空

つぎつぎに人間が炎に呑みこまれてゆく焦熱地獄を
それきりきみは炎と化した きみといっしょに
ぼくたちの愚かな学習 無智も焼かれた

そのとき ぼくも逃げ出していたのだよ
ナパーム焼夷弾の雨が降りそそぐ千住の町を
火災また火災が 壁のようにつらなり
風を巻き起こして押し寄せてくる狭い道を
唯一つの逃げみち 隅田川べりの広場へ
そこをめがけて 地の底から湧きだしたような多勢の人間の群れが
つめかけた


(中略)

恐怖と寒さと
炎のなかでごうごうと唸りながら焼かれてゆく
町並み 家家の屋根 柱 窓 障子 板塀
目のとどく限りのすべてを焼きつくす炎の
あまりのとめどなさ
人間か悪魔か
狂気の業の 際限もない狂乱に肝を奪われたためだ
ちょうどそのころ
とめどなく膨れる炎の壁の向う側で
君は焼き殺されていたのだ

その日から 地上のすべての音は姿を消したね
詩歌の旋律も ヴァイオリンの音色も
囁きかわす小鳥たち
並木の葉ずれから 川の流れる音
人間のやわらかな肉声
死者も 何も語りかけなくなった
バスも 停車場も 線路も 倉庫も 沈黙し
空から歌が消えた
おそらく地の果てまで
遠くにある山も 森も 湖も 雲も
ものみなが沈黙した

(中略)

殺されたきみはたぶん
あの世にも行っていない
死にむかって身と心が透明になってゆき死者になるという道も
通れず
肉体だけを焼かれ
生をみのらせる権利も奪われ
いきなり理由もなく殺されたきみは
恨みを呑んだまま
死者にも生者にも加わることができず
今日になっても
どこにも行けずにいるのだね

(以下略)


 この詩はパネルに印刷され壁面に掲げられていたが、これを読みながら井上有一の「東京大空襲」を思い出していた。井上は東京都横川国民学校の教師(校長)をしていたが、3月10日東京大空襲に会い生徒のほとんどを失った。その惨状を井上は書で書き表した。緒形拳がそれを読んでいる。

活字体と朗読(緒形 拳)

 東京大空襲を自らも経験し、親しい人を失った思いを詠っているのは田中さんも井上さんも全く同じだし、それを形にするまでに長い時間を必要としたのも同じである。それだけではなく、十万人にも及ぶ無辜の人々をこのような地獄に付き落したことへの告発をしているのも同じである。絵や書のかたちも今迄の常識的な形式を離れたものになっているが、これは今まで述べたことと無関係ではないだろう。

      噫横川国民学校

アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都
忽化火海 江東一帯焦熱地獄
茲本所区横川国民学校 避難人民
一千有余 猛火包囲 老若男女声なく
再度脱出の気力もなし 舎内火のため
昼の如く 鉄窓硝子一挙破壊 一瞬
裂音忽ち舎内火と化す 一千
難民逃げるに所なく 金庫の中の如し 親は愛児を庇い子は
親に縋る 「お父ちゃーん」
「お母ちゃーん」 子は親にすがって親をよべ共
親の応えは呻き声のみ 全員一千折り重
なり 教室校庭に焼き殺さる 夜明け火焼け
尽き 静寂虚脱 余燼瓦礫のみ 一千難民
悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼
白骨死体如火葬場生焼女人全裸
腹裂胎児露出 悲惨極此 生残者虚脱
声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を
殺戮するのか 翌十一日トラック来り
一千死体トラックへ投げ上げる
血族の者叫声今も
耳にあり
右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲
を記す当夜下町一帯無差別焼夷弾爆撃
死者実に十万 我前夜横川国民学校宿直にて
奇跡生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし
                               ゆういち

 展覧会を見学して帰ってから、うちで行う一人芝居「バターン死の行進」の準備をした。
ここにも戦争の悲惨があるようだ。
 


BACK NEXT 通信一覧