東北関東大震災     2011年3月13日

 2011年3月11日14時46分ごろ大地震があった。後から「東北地方太平洋沖地震」と名付けられた。この時私は美術館にお客様を迎え案内したり、茶の用意をしていた。食堂にある天井からつるした電灯が大きく揺れているのを見て「おかしいな」と思ったが、揺れは感じなかった。しばらくして、2階を見学していた二人が降りてきて「地震がありましたね。」と言ったので、初めて「やっぱりあれは地震だったのか」と思う程度だった。大阪から見えたお客さんは帰りに「この美術館を訪問した時地震があったので忘れられないかもね」と言って帰った。

 ところが、時間が経つに従って地震の規模が判明し、大地震と大津波が襲ったことが分り、驚き心配になった。東北地方はわが家にとってはとても縁のある場所である。妻は岩手県久慈市の出身であり、父母の家には義姉が住んでいる。もう一人の義姉は青森県の八戸にいる。私の弟夫婦は仙台に住んでいる。
 被害が大きいことを知り電話するが通じない。岩手も仙台もダメだった。心配ではあるが打つ手がないので、何もしないでテレビを見ていると仙台の義妹から電話がかかってきた。一般電話は通じないが、公衆電話は通じるので並んで順番を待って掛けてきたのだそうだ。

 それによると夫婦ともに無事であり、身体的な損傷はなかったが、家中の荷物はめちゃくちゃに散乱したそうだ。

 今度の地震は時間が経つほどその被害の大きさが増している。おそらく死者は一万人を大きく超え、被害は数兆円以上になるだろう。そこに持ってきて福島原発の大事故である。もしかしたら、この事故は津波の被害に匹敵するようなものになるかもしれないと思っている。

 政府の対応が遅れ、自衛隊も様子を見ながら順に救援の規模を拡大しているが、当事者になってみるとある程度仕方がないと私は思う。ただ、自衛隊は船を出すとか、海上から上陸して救援に当るという方法を考えてもよいのではないか。物資の輸送は船だと桁ちがいのことができる筈だ。

 東洋町の町長が津波避難の高台をつくることをさかんに言っていたのを思い出してインターネットで調べてみたら、高台は既に着手して、いくつかは完成していることが分った。住民の命を守るために最ももっとも貧しい村が最も先進的な取り組みをしていることが分った。


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