東北関東大震災 2      2011年3月27日

 大地震から2週間が過ぎた。何人かと連絡ができるようになった。

 Wさんは数年前私たちと一緒にスロヴェニアを訪問したことがある友人で、福島市の方である。電話が通じたのは20日であったが、漸く水が出るようになって助かったと言っていた。それまでは毎日水をもらう為長い行列に並んでいなければならなかったそうである。放射能レベルは高く、子どもが心配で近くの何人かは子どもを連れて親戚へ逃げたということを話してくれた。「自分たちは年寄りなのだから、ここに残って災害復旧の仕事をしたり、救援活動をする」と言っていた。これから放射能が減るのなら我慢できるが、此の状態ならば返って増える可能性の方が多い。大変心配だ。

 やはり親しい友人で、優れた美術教師のKさんは須賀川に住んでいるが、家は大丈夫でアトリエの中がめちゃくちゃになったと話してくれた。やはり水がなくて毎日水をもらう為に並んでいるということだった。電話に出た時、すぐには私だと分らなくて、話すうちにはっきりしてきたようだった。そんなところにも、日常と違った精神状態が見えるように思い、御苦労をされていることがわかった。

 仙台の弟は、1棟百数十軒という大きなマンションに住んでいるのだが、温水器が壊れた家がたくさんあり、風呂に入れない人が多いので、自宅のふろを開放して、時間を区切り順番に入っているとのことだった。ここでは管理組合が連日集まって「耐震診断」をしたり「復旧計画」を考えているとのことで、すごいことをしているなあと感心している。住人の中に建築士をはじめとした専門家がいることで機能が発揮されているのだろう。ガソリンがなく徒歩と自転車で用を足しているとの事だった

 Nさんは宮古の人である。毎年当館を訪問してくれていた。上野誠だけでなく、広く美術を愛し、平和を願っていた。豆本を作り、何冊かいただいた。詩人で仲間と同人誌を作り、長野の美術館を訪問したルポルタージュを書いたり、詩を書いていた。
 そのNさんと連絡が取れない。毎日電話しているのだが通じない。新聞の避難情報を見ても、死亡名簿を見ても名前がない。インターネットにある情報で調べても見つけることが出来ない。何処にも名前がないということは行方不明と言うことなのだろうか、心配である。

 現地の方は最初は電気が通じないため、周りの情報が分らなくて、私の方がよく知っていることもあった。津波被害についてなどは、こちらは全国の情報が入るのでわかるが、テレビがないため分らなかったようだ。
 
 取敢えず僅かのお金を募金したが、どのような支援がいいのか考えている。
 


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