気になる責任の取り方    2011年05月22日

 昨日東京電力社長が今回の事故の責任を取って社長を辞任すると発表された。当然のことである。しかし、同時に会長の勝股某は引き続き会長にとどまるとの発表もされた。
 私はこの責任の取り方に疑問を持った。というより異議がある。そもそも今回の事故は国の政策をバックに東電をはじめとした電力会社が安全対策を無視して原発を建設したところにがん人があった。福島原発にしても、危険を警告した発言があったにもかかわらず、それを無視してきたところに原因があるのではないか。今回の事故は、たまたま3月11日の地震と津波があって発生したのだが、清水社長はその時社長であった言うにすぎない。だとすると、今回の責任は、決して清水社長というよりは、このような原発を設置したり、それをつづけてきた歴代社長にこそ責任があるのではないか。詳細についてはわからないが、平岩とか勝股などは極めて重い責任を担わなければならないはずだ。死んでしまった人はどうにもならないが生きている勝股は清水以上重い責任がある。

 もっと言うならば、今回の責任は電力会社以上に政府と政府に設置された「原子力安全委員会」や「保安院」にあるのではないか。彼等は原発の安全を審査する義務と権限を持っていたのだから、審査の結果について責任を持たなければならないはずだ。杜撰な検査をして事故が起きたのなら、検査をした責任を取らなければならない。

 トヨタはアメリカでのリコール問題で社長が責任を取って辞任した。これと比べた時、東電の被害は比較にならないほど大きい。責任の所在もこれとは比較にならないはずだ。でないと、何のために「原子力安全委員会」や、「保安院」があり、何のために国会で審議したのかわからないではないか。

 もう一つ気になっていることがある。
 被爆した地域住民についてだ。

 地域住民の中に知事や市町村長も入るとして考えると、それぞれがそれぞれなりに責任を持っていた。

 知事は原発設置の許認可権を持っており、福島県知事が許可したから原発が設置された。ということは知事が原発に対して「ノー」といえば今回の事故は起こらなかったのである。現に福島県の前知事佐藤栄佐久氏はノーと言って原発を拒否する構えを示していたが、突然別の問題で検挙され、知事を辞任させられた。私はこの検挙は何が何でも原発を推進させるための国策検挙・国策逮捕・国策裁判だと思うが、佐藤知事をめぐる一連の事件は、冤罪事件をつくってまで知事を辞めさせなければならないほどの重い権限を彼が持っていた事を示している。したがって、福島県知事の事故に対する責任は極めて重いと考える。原子力安全委員長並みの責任はあったのではないだろうか。知事は被害者でもあるが加害者でもあるのだ。

 市長村長は許認可の権限は持っていなかったので、その責任は知事とは比較にならない。だが、原発を設置していた自治体の首長は東電や国から莫大な金をもらって原発推進を公約し、子どもたちを始め、地元民を原発につれていき、見学させ「原発安全」の宣伝をしていた。多くの学校の教師も同じである。多くの議員もおそらく同様だろう。

 地元住民の責任はないのだろうか。
 
 住民の中には原発に反対していた人がいる。原発に反対した議員もいる。彼等は原発の危険性を訴え、その根拠を示し、様々な努力をしてきた。そのため就職口が見つからなかったり周囲から村八分同様な目に遭った人もいる。ということは、原発に反対した人を除けものにした人もたくさんいたということだろう。除けものにした人と除けものにされながら原発の危険性を訴えてきた人の責任をどう考えたらいいのだろう。私は同じではないと思うのだ。
 
 少なくとも中学校卒業程度の学力のある住民だったら新聞を読むことができるし、選挙の時のビラを読むこともできる。もちろん本屋で本を買って読むこともできる筈だ。原発建設に賛成と反対があることは誰でも知っているのだから、自分でそれを調べることは誰にでもできたはずなのだ。一方の話だけを聞き、反対意見には耳を貸さず、事故が起きてから「俺は知らなかった」ということは通らないだろう。
 住民が大きな被害を受けた大部分の責任は東電や政府、安全委員会、県などにあることはもちろんだが、原発導入に賛成した住民にはそれなりの責任もあることは明らかだ、と、私は思う。でないと、同様の問題が起きた時、賛成しても反対しても、差別しても、妨害してもその責任は問われないからである。住民(国民)の責任とはそういうものではないか。


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