大逆事件について   2011年12月27日

 日本文学史序説の読書会で「大逆事件」の新村忠雄について話し合った。話し合ったというより清野さんの話を聞いて感想を述べ合った。
 ここで取り上げられているのは千曲市出身の新村忠雄である。彼は大逆事件により死刑になった。明治天皇を殺害しようとしたという理由である。その計画は「殺害計画」などと呼べるものではなく雑談の際の放言のようなものが、権力によってうまく誘導され、大事件にでっちあげられたものである。したがって、この事件が社会主義者(無政府主義者)を根こそぎにし、日本を絶対主義国家にするために仕組まれた事件と言ってもいい。
 荒唐無稽にもせよ、天皇暗殺についての計画をしたと思われるのはわずか5人にすぎない(宮下太吉、管野スガ、新村忠雄、森近運兵、古川力作)にもかかわらず、死刑にされたのは宮下太吉等5人の他、幸徳秋水、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童等7名も含まれており、彼らは天皇暗殺とは何のかかわりもなかったことが明らかになっている。
 
 大逆事件については「大逆事件の真実をあきらかにする会」が出来、活動をしている。また、事件についての研究も進み、大逆事件100周年を記念して各地で様々な取り組みがなされている。千曲市でも何人かの有志が大逆事件の真実を明らかにしようと取り組まれ始めた。今月29日には千曲市在住の森貘郎さんらが清野龍さんを呼び講演会をする取り組みもあるということだ。

 大逆事件に係る話を聞くうちに、この事件にかかわった人に対する社会的糾弾というか差別が大変大きかったことがわかった。家族や親戚までもが有形無形に差別され、今に到っている。そのため、事件にかかわった人の親族の口は固く、本当のことがわからないできたとも言える。

 日本人は強力な弾圧があると口を閉ざしてしまうところがあると思う。その後は「長いものにまかれろ」の風潮がつづくのだ。あるいは日本人にかぎらず同じ傾向はあるのかもしれないが、日本人は特にその傾向が強い。たとえば、「大逆事件」「3・14事件」「4・16事件」など全国的な弾圧と共に身近でも「2・4事件」(長野県教員赤化事件)などとともに戦後の「ケリー旋風」の後は民主化運動はほとんど壊滅状態になってしまった。美術に関していえば川上冬崖の不審死もそれに当るだろう。

 いくら不当な弾圧であっても弾圧の対象が少数であると泣き寝入りになる場合が多い。社会のほとんどがその不当性を知らないから、問題にされることがない。上記の事件もそうであるが、その不当性は誰かが明らかにし、不当性を多数が知り、社会全体の共通の認識にならなければならないと思うのだ。そのために私も微力を尽くしたい。


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