東混「八月のまつり」を聴く    2013年8月10日

昨日「34回東混八月のまつり」を聴いた。
今年は娘の由子と一緒だった。
この催し(東混特別定期演奏会)の指揮はいつも林光が行っていたのだが、昨年林が亡くなったので指揮者が代わり寺嶋陸也になった。娘はそれを知って「ピアノの名手だから聴きたい」といって一緒に行った。私はこの指揮者については何も知らなかったが、一昨年聴いたときのピアノの印象があったので、なるほどと思った。

『原爆小景』(「近代文学」1950年8月号に発表)は原民喜(1905〜1951)の詩の名前で「コレガ人間ナノデス」「燃エガラ」「火ノナカデ 電柱ハ」「日ノ暮レチカク」「真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ」「ギラギラノ破片ヤ」「焼ケタ樹木ハ」「水ヲクダサイ」「永遠のみどり」からなっている。チラシに書いてあった「夜」という詩の名前はないが、その他の詩を組み合わせて作ったものだろう。

八月のまつりのチラシには1980年8月9日第1回のプログラムの巻頭言が掲載されていた。

広島に一本の柱を立てれば充分だ
人々はすぐさまそのまわりにあつまって祭りがはじまる
と 昔のひと ルソーだったかロマンロランだったかは 言った
だが いま私たちは知っている
一本の柱で祭りなんぞははじまらない
それどころか 私たちは私たちじしんの意思で私たちの街の広場に柱一本
立てることさえ 許されない
それを あえてした 海峡ひとつへだてた都市の人びとが どんな目にあわ
されたか私たちは知っている
世界は にせの祭りに満ちている
にせの祭りは 人びとをくさらせる
体操競技で いままさに満点の演技を終わろうとする瞬間の 十八才の少女に向かって
〈落っこちまえ〉と野次をとばさせるところまで にせの祭りは人びとの心をすさませる
こんな世界は がまんできない
だから私たちは ちいさくともほんとうの祭りをやるために
きょうここにあつまった
それは私たち日本人が この地球上の人間が 先祖のために これから
うまれる人々のために 生命をかけて祭りつづけなくてはならない祭りだ  
   ヒロシマのデルタに
   若葉うづまけ  
 〈原民喜〉

作曲できるはずのないこの詩句が 作曲されうたわれる日まで 祭りはつづく
鎮魂でなく あえて祭りと名のったこのつどいに参加してくださった皆さんに感謝し
祈ります



寺嶋陸也野指揮は林光とはだいぶ違い、振りが大きく演奏しやすい指揮だと思ったが、それ以上はわからない。曲の作りは林光と余り変わらないように思えた。
『原爆小景』の合唱はアカペラで、いつもながら大変美しくすばらしいものだった。「夜」の中に「コレガニンゲンナノデス」というような朗読が何人かによって挿入されるのが特徴なのだが、そのことについて寺嶋は次のようなコメントをしている。

《原爆小景》は、日本の合唱作品、というのみならず、現代音楽史上特筆されるべき作品だと思います。第一には、そのメッセージ性において、原爆による惨禍を扱いつつ、純然たる芸術作品として高い密度をもった作品であること。第ニに、日本語をどのように歌うか、という問題とも正面から向き合っていること。この第ニの点は、この曲の魅力としては見過ごされてしまいがちですが、とくに真ん中の2つの楽章では、ノーノ(1924-1990イタリアの作曲家)やルトスワフスキ(1913-1994ポーランドの作曲家)などヨーロッパの合唱曲の影響も受けつつ、言葉を音響の素材としつつも、解体するのではなく意味をきちんと伝える役割も残すことに成功した、極めてまれな作品です。その結果、言葉と声の迫力の両方が一体となって、聴くものに強いメッセージを伝えます。


ソプラノの言葉が実に鮮やかに響いたのに比べ、アルトの人の声が聞き取りにくかった。寺嶋がコメントしているように音楽の0中に挿入される言葉が大きな意味を持っているだけに、言葉の明瞭性を大切にしてほしいと思った。

今年は『原爆小景』のほかに『ふるさとの風に』と『歌の小箱』が歌われた。両方とも初めて聴く曲であったが、寺嶋は次のコメントを残している。

《ふるさとの風に》は、23歳で戦死した竹内浩三の詩による合唱組曲です。7曲のうち6曲までは、直接に戦争を扱ったものではなく、若者のみずみずしい感性が捉えた太平洋戦争前夜から戦中にかけての社会や、個人の悩みを歌ったもので、あとから作曲した終曲《骨のうたう》は、自分がたどることとなった兵士の運命についての歌です。《原爆小景》とは、作曲の手法が全く違う曲ですが、私なりに、林光さんの思想を受け継ぎたいと思っていることの証として、今回プログラムに入れさせていただきました。

林光さんが亡くなったあとで出版された「現代作曲家探訪記」という本の最後の章は、「冬の時代の過ごしかた」というもので、その中に、山田夏精の《もう直き春になるだらう》のことが書かれています。もちろんここでの「冬の時代」というのは第二次世界大戦の時代のことですが、いま、日本にいる私たちはいろいろな意味で冬の時代を迎えている、と思っています。この曲は以前もいちど「八月のまつり」で演奏していますが、光さんが好きだったこの曲に加えて春を待つ歌を3つ並べました。鈴木敏史(としちか)さんの詩による自作の2つの曲は、生命の讃歌と、新しい時代の到来を期待する歌です。それに、福島県民謡の《会津磐梯山》と、光さん作詞作曲の、音楽への讃歌であり、新しい音楽に新しいメッセージを託す、という内容の《音の虹》(その合唱版は未完だったので、私が補作しました)を加え、一貫したメッセージ性は保ちながら、歌曲、童謡、ソング、民謡とさまざまなスタイルの曲によって、合唱の楽しさと日本語の表現の豊かなヴァラエティを楽しんでいただきたい、というのが、後半の「歌の小箱」です。


最後のアンコールは例年のように宮沢賢治の「星の歌」で締めくくられた。
来年もこの演奏会が開かれることを願っている。


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