柄澤斎『肖像シリーズ』の面白さ その2   12月17日

 グリューネヴァルトの肖像は一目見ただけでは、これが肖像であることがわからない。
肖像]Y
マティアス・グリューネヴァルト
(1475頃〜1528)  フランス

この作品は非常にインパクトの強いものであり、肖像シリーズの中でも一段と光を放っている。

 よじれた足があり、その真ん中に顔が見える。これが肖像なのだろうか。
 柄澤はなぜこのような肖像を描いたのだろうか。
 そんな思いで、グリューネヴァルトを調べてみた。幸い粟津則雄氏の『自画像は語る』にグリューネヴァルトについて書かれた文章があるので多少長くなるが引用してみる。

 「マティアス・グリューネヴァルトという名前を聞いて誰しもがまず思い起こすのは、フランス東部、ドイツ国境に近いコルマールという町のウンターリンデン美術館にある『キリスト磔刑図』だろう。これは彼が、コルマールから20キロほど南に下ったイーゼンハイムという村にある、聖アントニウス教団の修道院教会のために、1512年から15年に掛けて描いたいわゆる『イーゼンハイムの祭壇画』の一部をなすものだが、ここにはこの画家の奥深い本質をなすものが余すところなくたち現れていると言っていい」「ここに見られるキリストには、およそ聖性のかけらも感じられぬ。これは一人の中年の男の醜悪な死骸にすぎぬ。茨の冠をかぶった頭はがっくりと垂れ、閉じたまぶたにはさだ先ほどまでの苦痛のかげがただよい、口はだらしなく開いている。あばらの浮き出した痩せた土色の身体は、鞭のあとに蔽われ、太い釘で打ち付けられ、苦痛で激しくよじれた手足は、そのままで死後硬直をおこしている。」



柄澤齊は上の祭壇画の足の部分を切り取り、重ね合わせた足首を貫いている釘の頭にグリューネヴァルトの顔を描いた。

では、釘の頭に描かれた彼の顔はどこから選んだのだろうか。
いろいろ調べた結果、下の「自画像」が元になった絵ではないかと推測している。

 グリューネヴァルトはドイツ中央部バヴァリア地方のヴェルツブルクに生まれた。
 これほどの絵を描きながら彼の名前は死後長い間忘れ去られていた。その理由としてあげられているのは彼がドイツ農民戦争に加わったからではないかといわれている。
 ドイツ農民戦争は南北ドイツから中部ドイツにかけて燃え広がったのだが、この戦争は単なる生活のための反逆ではなく「神の法」とか「神の正義」とかいう思想に突き動かされた一種の「宗教戦争」でもあった。
 たたかいは農民軍の敗北に終わり、かれは、宮廷画家の地位も失い、フランクフルトに亡命を余儀なくされた。
 この自画像は彼がショーンガウアーのアトリエにいたときじ描いたとされる若年期の自画像である。


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