柄澤斎『肖像シリーズ』の面白さ  その3   12月20日

 肖像シリーズは現在42点で構成されているが、対象となった人物を分類してみると
画家(版画家・彫刻家) 24、 小説家 8、 音楽家 4、 詩人4、 その他 3 となる。
 画家(版画家)が多いのは当然だろうが、詩人や小説家、音楽家などがかなり含まれているのが特徴だ。その顔ぶれを見ると柄澤さんの嗜好がよくわかる。
 ランボー、ボードレール、ロートレアモンはみな若くして死んでおりどこか狂気じみている。上田秋成、泉鏡花、エドガ・アラン・ポーは怪奇小説を書いている。
 長寿を全うし大往生を遂げたという人はバッハ他数人しかいないし、このシリーズの中の傑作も異色の人のものに多いように見える。


 左右の肖像を比べてみるとそのことがよくわかる。
 左は肖像]U上田秋成で左は肖像]]\亜欧堂田善である。

 上田秋成は1734年大阪の曽根崎新地に私生児として生まれ、4歳で堂島の商家上田氏に養われたが、まもなく患った疱瘡(天然痘)のため両手の指はほとんど使えなくなった。晩年には眼を患い終生直ることはなかった。国学の素養が深く儒教の教えとは一線を画していた。
 雨月物語は怪奇小説として優れたできばえを示していたが、中国の白話小説の影響を強く受け、勧善懲悪とは違う価値観に基づき書かれている。
 この肖像画はろうそくの光で後ろに影が出来ておりその前に座った秋成が暗闇の中に照らし出されている。後ろの影は髑髏のようにも見え、絵全体が不気味な雰囲気をかもし出している。

 亜欧堂田善は福島の須賀川に生まれ、本名を求田善吉をいった。
 家は酒造業から紺屋を営み染物屋を継いだが、たまたま領内を巡視した松平定信に認められ家業を他人に譲り定信に仕え、谷文晁の門人になった。
 長崎の蘭学者やショメール百科全書から洋風画や銅版画の腐食法を学び日本で始めて銅版画を作成した。
 かなり明るい部屋で銅版画を作成している田善は襷を掛け銅板を光にかざして眺めている。この肖像からは整然とした部屋の中でまじめに仕事に取り組んでいる田善の姿が見えてくるが、絵全体からかもし出される雰囲気は弱い。

 二人の表情を見ても秋成は眼光鋭く一点を見つめているのに対して田善は柔和な表情で銅版を見つめている。口も強く結んだ秋成に対し田善の口はごく自然である。従って田善の表情からは秋成に見られるような強烈な意思は伝わってこない。

 かつてそのことを柄澤さんに書いたところ、彼もそれを認めながら「田善の限りない善意」を表現したかったという趣旨の返事をもらったのを覚えている。


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