政党の力量と議席数   12月21日

 現在国会に議員を有する政党は自民党、民主党、公明党、共産党、社民党である。
これらの政党の栄枯盛衰を議席の数で見るとその時々の社会状況やマスコミの様子がよくわかる。だが、議席が政党の主体的力量に比例しているかというと必ずしもそうはいえない。むしろその時の社会情勢や他政党の成功・失敗が大きく作用しているように見える。また、政党指導者のアッピールの仕方に左右されていることが多い。それがマスコミの波に乗ったり乗らなかったりして選挙情勢を大きく動かした。

 例えば社会党が壊滅的な打撃を受けたのは小選挙区制の成立であったし、共産党が議席を減らしたのは文化大革命であったり、天安門事件であったり、「リンチ殺人事件」を口実にした幹部への攻撃であった。逆に躍進したのは「やるっきゃない」の土井党首人気の時であり、消費税が導入された時だった。

 小選挙区制を積極的に導入したのは社会党で、このときの同党はむしろ力を持っていた。文化大革命当時の共産党も当時、政党としての力は大きかったように思う。

 こう見てくると、議席の盛衰は主体的力量とはそれほど関係なかったような気がする。もちろんまったく関係ないことはなく、どんな状況でも党員や支持者が大いに頑張ったから躍進したのだが、情勢にマッチした政策が出されると党員や支持者に元気が出て、いっそう頑張ったことも事実だろう。当然その逆もあったはずである。また、情勢が不利であってもその時の方針が正しく党員や支持者がその方針に確信を持っていれば不利な情勢をある程度食い止めることが出来るだろう。東欧の共産圏崩壊や天安門事件の時の共産党の対応などを見るとそのことがわかる。

 共産党で言うと政府与党が世論(マスコミ)にたたかれた時で、しかも野党も同罪だったり有効な与党攻撃ができなかった時である。佐々木議員が「宗男ハウス」追求をしたときであり、長野県議会で唯一田中知事不信任に反対した時だった。

 政党の主体的力量(実力)をつけることは必要だと思うが、そのことと選挙に勝つことはイコールではないだろう。そのことは長野県議会を見ればよくわかる。県会議員が2名から6名に躍進したのは共産党の実力がついたからではなくて県議会の情勢が共産党に有利に働き、マスコミがでたらめな県議会の実態を県民や国民に伝えたことが躍進の原因であった。

私は共産党に興味と関心があるのでよくわかるのだが、今までのすべての党大会・中央委員会・活動者会議で「成功した」とか「画期的だった」と」総括されなかった会議は皆無に近い。僅か一回だけ、「前回の中央委員会の結果は重大な問題があった」とされたことがあったのみである。私はそこで指摘された中央委員会の決定に賛成だったので「なぜなのか」疑問に思った記憶がある。

 だが、普通に考えるとこれはおかしいと思う。すべて正しかったのに議席が激減したり党勢が減るということはないはずではないか。科学的社会主義というならばもう少し科学的な分析をしなければならないと思うのだ。
かつて1970年代に共産党の議席が躍進した時「民主連合政府」のスローガンが掲げられ70年代に民主連合政府を実現するということを決めたことがあった。この時点では次回または次々回の選挙で更なる大躍進があり、政府実現の見通しが立つはずだった。ところが、反共攻撃によってその実現は出来なかった。それどころか次の総選挙では現状維持からも程遠い議席減という結果となった。中国の文化大革命などの不利な条件はあったがすべてをそのせいにしてはならないように思う。

 

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