フジテレビとライブドアの争い    3月3日
 −規制緩和を主張してきた産経グループは自分に対する規制緩和には猛反対ー

 ライブドアの堀江貴文社長が突然ニッポン放送の株式を大量に買って放送局を乗っ取りそうになっている。ニッポン放送はフジテレビ系列なので系列会社は反撃に出ている。お互い秘策を練って動いているが、私が腑に落ちないのは日ごろ規制緩和を声高に主張している産経グループが、ニッポン放送の乗っ取りに関しては「規制が必要だ」とさかんに主張していることである。

「法に違反しなければ何でもあり、ではあるまい。」「それぞれの地域や国ごとに固有の習慣や伝統があり、道徳がある。それらが公の意識を形成している。公共性をなくした社会はもはや社会とは言えまい。」(「産経抄」2月23日)


 これについて中根敦氏は次のように主張している。

グローバリズムを賛美し続けてきたのは、他ならぬ、産経新聞である。FTA(自由貿易協定)の推進を社是とし、「農業保護より自由貿易を」(2003年10月17日付社説)と叫び、さらには、外国人労働者の受け入れを目指す日本経団連の主張を「傾聴に値する」(2004年7月11日付社説)とまで言った。そして、グローバリズム賛美の極め付けが2003年12月12日付の社説だった。その一節を示して、本稿の締め括りとしたい。

「世界貿易のパイを拡大するために、FTAを結んで関税の垣根を無くすことは世界の潮流であり、日本が国内政治を理由にこれを放置することは許されない。」(2003年12月12日付産経新聞社説)

 また、フジテレビは「面白ければいい、では困る」ということを主張しているが、これもフジテレビが言ったとなるとおかしな主張である。なぜなら、フジテレビはいままで「面白ければいい」路線の先頭をきっていたテレビではないか。そのことについて俵幸太郎が日刊ゲンダイにこう書いている。

ホリエモンを意外性のあるタレントとしてクイズに起用したのも、興味本位路線だ。テレビマンは自局の番組に出演してもらうことを、偉そうに「使う」というが、「使った」つもりの男に使われそうになって周章狼狽したのが、いまのフジテレビの姿だ。【俵孝太郎】

【2005年3月3日掲載】


 このように、日ごろ自分が主張していながら、いざ、自分がその被害をこうむりそうになると、まったく反対の主張をするというのが産経やそれに同調している人たちの特徴なのだ。

 産経新聞・フジテレビは今までずっと「米価保障は不要」「生涯雇用は不要」「年功序列賃金は不要」「医療無料化はなくして結構」「サラ金の広告は流して当然」という態度を取りながら、いまさら「法に違反しなければなんでもあり、ではあるまい」などと言っている。他人が守ってきた「固有の習慣や伝統」は先頭を切って壊しながら、自分の事となると「公共性をなくしたら社会はもはや社会とはいえまい」などと書いている。

 このような自分勝手な主張をするのは産経グループだけではない。私は文部省(旧)の委託で委員を務めていたY氏からこれに似た事例を聞いたことがある。

 もうすでに化けの皮がはげてしまったが、中央教育審議会や教課審議会が「ゆとり教育」の主張を盛んに行った。その当時の彼らの主張は「学校にゆとりがないのは教科学習に力を注ぎすぎるからだ。教科の時間をもっと減らすべきだ」「すべての子どもに力をつけるなどというのは間違っている。出来ない子どもには無理して教える必要はないのだ。」「先生は教えてはいけない。子どもの出を待っているのがよい」というものだった。
 ところが、そのように主張している委員の子どもや孫は決して公立学校には行かないということを教えてもらった。彼らの子どもの行く私立の学校は週6日制で英語は6時間あるという。 
 自分はこういうことをやっておきながら、多くの国民には無理して勉強する必要はないなどと主張している人の欺瞞を知りY氏は憤りを禁じえなかった。それを聞いた私もまったく同じ思いであった。

 
 これら産経・フジグループとちょっと違った対応をしたのが奥田氏の率いるトヨタグループであった。彼らは「ライブドアのやり方もフジのやり方もある意味では正当である」と言ってフジの要求を呑まなかった。これはずるがしこいやり方だとも思うが、グローバル化を推進してきた企業人としては首尾一貫している。資本家としては役者が一枚上だと思う。本当に恐ろしいのはむしろこちらかもしれないのだ。

 この争いはどちらが勝つか判らないが、いずれにしても、資本が傍若無人に日本の社会を破壊し、人々を苦しめる構造がますます強まる象徴のように思う。


 BACK  NEXT  通信一覧