景川弘道さんを訪問   5月6日
 
 5月2日から4日まで、西村健さんと北海道の景川弘道さんを訪問した。
 景川さんは上野誠の親友で、1958年から1980年までの23年間にわたり上野と書簡を交換した。外国旅行中を除けばほぼ毎日手紙を交換しあったというから驚くべきことである。
 上野誠はすでに亡くなり、景川さんも高齢であるので、この書簡は失われてしまう恐れがある。そこで、当館にその書簡を寄託していただき、保存し、研究資料として役立てたいと考えた。あらかじめその旨をお知らせして、今回の北海道訪問となった。行くに際して、景川さんとの話や景川さんの作品なども知りたかったので、西村健さんに同行してもらい、旅行中の様子をビデオに収録してもらった。
 景川さんは90をすぎている上いくつかの病気をわずらっておられ、体調はよくないとのことだったが、話し始めると熱が入り話は尽きなかった。

 上野誠との出会い
 上野誠さんとは「版画運動協会」で出会いました。運動協会には切り絵で有名な滝平二郎や小野忠重、鈴木健治、飯野農夫也などがいました。しばらくして私の家が火事になり燃えてしまうということがありました。何日かして上野誠さんからうちに大きな荷物が届きました。あけてみると中には衣類がぎっしりと詰まっていました。これは嬉しかったですねえ。一番ほしかったものですから。それから手紙のやり取りが始まりました。
 こんなに長い間続いたのはなぜでしょうかね。わたしが手紙を出すと上野さんが返事をくれる。それに対してこちらも返事を書くという風にしているうちに20年がたってしまいました。上野さんは誠実な人ですからね。

手紙
 手紙は毎日出していました。外国へ行っている間は休みましたが病気のときも書き続けました。上野さんはベッドに寝ながら上を見てかける装置を工夫して作ったようです。

作品
 私は現在も元気ですが耳が遠くなりました。
 絵は描いています。昨年はりんごの絵をたくさん描きました。何百枚も描きましたが、描いて分かったことは何もなかったですね。りんごの表面だけでなく、内容を描きたかったのですが、終わりごろ「なにかあるかな」と思った程度です。
 一昨年は油絵を2400枚描きました。一日に何枚も描いたのですが、キャンバスでなく紙に描きました。紙だとかさばらず手軽に描けます。私にとって描くことは排泄と同じです。
 版画も1日に何枚も作ります。このくらいの多色の作品(80センチ×100センチ)なら一日に3枚ぐらい制作しました。
  


BACK   NEXT  通信一覧