上野誠版画 「生き残る」について    8月9日

今日は長崎に原爆が落とされた日である。
上野誠の版画に「生き残る」という作品がある。顔が焼けただれた女性と男の人が抱き合っている絵だ。
この作品を初めてみたときはあまりに無残で、じっくり見る気にはならなかった。



生き残る
上野は1961年と62年に長崎を訪れ、原爆病院を訪問し、被爆者と繰りかえし会っている。被爆者から原爆の話を聞いてそれを版画に彫っている。なかでも崎田マシさんから聞いた話はよほど心にしみたと見えて繰り返し彫っている。

この作品も崎田さんの話を基に作成された。

「私は原爆が落ちたときは何があったか全く分からなかった。気がついたら私は家の下敷きになっていた。ようやく這い出でてみるとあたりの景色はさっきまでとは全く違ったものになっていた。家並みが続いていた周りは原っぱになっていた。見たことも想像したこともない景色になっていた。人もいたが見知らぬ人が倒れていたり歩いていた。誰か知っている人はいないかと探し回ったが、誰とも会うことはなかった。主人が倒れているかもしれないと思い、探したがいなかった。
 主人も同じ思いでいたようで、うちに戻ってみたそうです。でも、私がいなかったので、倒れているのではないかと探し回ったそうです。散々探しているうちに、ばったりと会うことが出来ました。うれしくて思わず抱きたって喜びました」

私はこの話を見学に来た人に繰り返し話していたが、今日資料を調べなおしていたら、偶然この絵についての記録が見つかった。
驚いたことに、その資料によると、この作品の出来たときの様子は私の説明とは全く違っていた。

新しく見つかった資料によると、そのときの様子は次のように書かれている。

飛行機が1台きたぁてときは、大橋のところでドーンというたとです。と思ったら青か火が落ちて、杉の木に降りかかったです。たちまちあたりは真っ暗になったです。みえんごと。爆弾のときは、寝らんばならんときいとったけん、すぐ寝たとでした。そのとき腰骨を打って、右の足に少しヤケドしました。
 あたりがようよう明るくなったとです。「マシー」とばあさんを呼んだら、一間ばかりのところにいて、「とうちゃん、死んでおらんかったね」というて、二人はだきあってよろこんだとです。
(おじいさんの話に活気があり、マシさんのかたかった顔がとけて、表情が自由に動くようになる)
 そんなとき、わたしは、はっとして、火の中でございますから、じっとうずくまっておりました。あたりが静まるまで、だまってすわっておりました。「とうちゃーん」といいながら眼をあげて、あたりを見たら、私の眼が見えのうなっておったんでございますよ。いたいとも思いませんでした。わたしは、まっ黒にこがれていたそうでございます。手の皮がむけて、牛肉のようになっておりましたと。うわくちびるの肉がさがって、口にふたをしておりました。


するとわたしの説明していた話は全部間違いだったらしい。確かに読んだ記憶があるのだが、このようにはっきりした記録があるのだから、間違いなさそうである。今までの説明を何とか訂正しなければならない。


BACK NEXT 通信一覧