母の変化 2       2006・12・2

 7月中ごろから母の状態が変化したことは前回書いた。そのときの変化は気温と体温の関係がわからなくなり、初夏だというのに服を10枚以上重ねるようになったり、暖房を入れたりしたことだった。周りの者がそのことを指摘しても、「寒いから着るのだ」といって聞き入れなかった

 それまでとあまりに違った様子に驚いた私たちはケアマネージャーの箕浦さんに相談したところ、それまで介護度が「要支援」だったが変更したほうがよさそうだということで、再認定してもらったところ、「介護2」に認定された。

 竹内メディカルクリニックから紹介状をもらい、篠ノ井病院の心療内科の医者に診断してみてもらったところ、「それまで飲んでいた薬のうち精神安定剤が過剰反応を起こしているかもしれない」ということで、やめてみた。そうしたら、母の状態がよくなって、服は重ねなくなり、暖房も入れなくなった。体全体が元気になり、近くの薬屋さんに行ったり庭の草をとったりし始めた。なかでも嬉しかったのは、妻がやっている織物の糸とりの仕事を「とっても楽しい」と言って手伝い、「またやりたい」と呼びにくることがつづいた。

 
 10月はじめまではその状態がつづき「これは良かった」と思っていたところ、屋内で転んでしまった。後頭部を打ってこぶをつくり痛がったので医者に連れて行き、CTを撮ったところ、わずかに出血しているという診断だった。しかし、しばらく様子を見たところ、ほとんど影響がなかったのでそのままにしておいた。
 
 10月26日昼ごろ、玄関から外に出ようとした母は再びころんでしまった。現場を誰も見ていなかったので、そのときの様子はわからないが、転んだ音を聞いて驚いた娘に呼ばれて私が行ったときは、玄関先に転んだままだった。顔色や体の様子に変化がなかったので、部屋まで連れて行き寝かせておいた。翌日は元気になって庭に出て歩いたり草をとっていた。翌々日も同じように元気でいたが、夕方になって足の状態がおかしくなった。3日目の朝になると更に足が動かなくなり、食堂まで食事にくることも困難になった。

 ケアマネージャーの箕浦さんに相談したところ、介護用品を紹介され、手すりや車椅子、ベッドなどを借りたり買ったりした。数日間はその状態で私たちが面倒を見たのだが、食事は部屋まで運ぶようになり、トイレも車椅子で行くようになった。足だけでなく、腰が痛くなり、腰を動かすたびに痛がるようになった。車椅子から移動するときは「腰が痛い」と言うので持ち上げるやら、ずらすやらでなかなかうまくいかなくなった。篠ノ井病院で診断してもらったところ、頭に少しの出血があるから、しばらく薬を飲んで様子を見るとのことで、家で介護を続けた。

 母はずっと布団で寝ていたが、大変そうなので何回か「ベッドにしたら」と話したが「布団でいい」と断られていた。腰が痛くなり、動けなくなりそうなので介護用のベッドを購入した。購入価格を調べたら40万円前後だった。借りたいと思ったが、介護度2では借りることができない。緊急に必要だと考えて中古品を購入した。近くの介護用品専門店で調べたら中古品の値段が7万5千円だった。念のため、インターネットで調べたら松本の業者が見つかり、ここと相談したら5万5千円で買えることがわかり、この業者とかかわりを持つことになった。

 腰はますます痛がるようになっただけでなく、そのうちに「私の腰が痛いのはナスのせいだ」と言い始めた。「部屋の外にあるナスを二つに割ってみると中が黒くなっているだろう。そのせいで私の腰が痛いんだよ」と言うではないか。 しばらく前までは部屋の外の畑にナスが植わっていたのだが、秋も終りになりナスの時期は過ぎたので数日前に処分して現在は何もなくなっている。
 これはただ事ではないと思い、再度診断してもらったところ、出血が続いているので手術をしたほうがよいということになり、10月6日に入院して7日に手術をした。
 脳の手術だと言うから驚いたが、最近は頭蓋骨に小さな穴を開けてそこからたまった血液を出すのだそうだ。時間も1時間足らずでできほとんど失敗もないと言われ、安心してお願いした。

 手術をするとき、体力維持のため点滴をするのだが、そのとき母は突然「点滴をするのはいやだ」と言い始めた。いままで病院でそのようなことを行ったことは一度もなかったので私は驚き「おばあちゃん、点滴をしなければ手術ができないんだよ」となだめたところ、怖い顔をして「手術はしない。私は死んでもいいから点滴は嫌だ。思い残すことは何もないからこのまま死なせてくれ」と言い始めた。手術の予定時刻になってもなお嫌だと言ってがんばっていたので、看護士、医者、家族がかわるがわる説得してようやく点滴の針をさして手術室に向かった。

 手術は無事終り、頭から90CCの血液を取り出した。手術室に入ってから出るまでの時間は1時間30分ほどだった。

 手術後の経過は順調であったが、母の様子は以前と全く変わってしまった。
 私たちが行くと口に指を当てて「シー」と言う。「ここにいると殺されるから、しゃべっちゃいけないよ」と言って自分も何もしゃべらない。「おばあちゃん、そんなことないよ」と語りかけると「シー、黙って!」と言って、私を激しくたたき始める。顔に笑顔はない。仕方ないから「それじゃあ帰るよ」と言って病室を出るのだが、なんだか割り切れない気持ちが残り、後ろ髪を惹かれる思いで帰宅する。そんな状態がいままで1ヶ月近く続いている。これには病院の看護士さんはじめ皆さんが手を焼いている。なぜそうなるのか私にはわからない。でも、大変な不安が母を襲っているように感じられる。

 母の看護をして一番大変なことは腰を痛がることだ。静に寝ているときや起きた状態で座っているときはなんでもないようなのだが、曲げた腰を伸ばすとき、伸ばしている腰を曲げるとき、ねじるときに「痛い、痛い」と大変痛がる。だから、トイレや洗面、食事などのときは私一人ではうまく対応できない。
 看護士さんの様子を見ていると、ひとりでも要領よく着替えさせたり起こしたりしているが、素人にはなかなか難しそうだ。

 看護士さんやリハビリ担当者の話だと腰が痛いのでリハビリが困難だそうだ。痛がってリハビリをする意欲がないという。リハビリをするところを見せてもらったところ、下半身のリハビリはベッドに寝たまま足を曲げたり延ばしたりするだけで、立つことや歩くことは全くできなかった。上半身のリハビリは塗り絵に色をつける作業をしたが、介護士さんがいないときに私にクレヨンで余白に何か文字を書いて見せた。介護士さんが来ると上に色をつけて文字を消すので私には何が書いてあったのかわからなかった。しかし、文字を書いたり消したりできたので、自分なりの判断によって行動していると言うことがわかり、私なりに希望が持てた。

 由子が行ったら「由子と立子が狙われているから気をつけなさい」と言われ「そんなことないよ」と言い返したところ、手を思いっきりつねられたそうだ。母の思いいれは並ではない。

 12月11日には退院することになったので、ケア・マネージャが中心になり、受け入れ施設ノーマライの責任者の三戸部さん、全労災の派遣看護士責任者の大嶌さん、介護用品のレンタル会社の方が集まり今後の相談をした。
 月曜日 ノーマライへ入所
 火曜日 介護士さん来訪 (30分)
 水曜日 看護婦さん来訪 (30分)
 木曜日 介護士さん来訪 (30分)
 金曜日 ノーマライへ入所
 土曜日 介護士さん来訪 (30分)
 日曜日 介護士さん来訪 (30分)

レンタル  スロープ(2メートル) 車椅子 介護バー 移動机
販売    ポータブルトイレ ベッド(購入済み)
       オムツ、パンツ、シーツ、防水エプロン
販売価格は高いのだが、その9割は戻ってくるので、実質負担は1割になる。
介護用品は「ハートウエル」という業者にお願いしているが、この会社は松本にある業者だ。松本だが長野を担当する人がいて今日申し込めば翌日の午前に届くので、長野の業者より早い。(この業界も大変だということがこれでもわかる)

 後は退院を待つばかりだが、不安と期待が入り混じった気持ちである。
 


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