美のふるさと 「上野誠」(信濃毎日新聞)を読む   2006年3月13日

 3月13日(月)の信濃毎日新聞に上野誠の画業が取り上げられました。
 書いているのは同紙の植草学記者です。これは「美のふるさと」−信州近代美術家たちの物語ー29
として11面全面を使って書かれています。タイトルとして上の段に横書きで”核の時代の暗黒描く”とあり中央に縦書で”希望は・・・もがき続け”とあります。
 写真で取り上げられた作品は『波止場』『原子野』A〜Hです。

 この日の新聞に掲載されると言うことは知っていたので、どのような形で載るのか興味を持って待っていました。
 植草記者は上野が1961年長崎を訪れ原爆病院の患者に向かって自分の作品の説明をしたところから書き始めています。

『一室に集まった患者たちに作品を見せ、一点一点、制作の背景を語る。・・・聴衆が病に苦しむ人々であることも忘れ、次第に熱がこもった。なぜ描くのか。なぜここを訪れたのか。夢中で語り終えたとき、集まった患者たちから、拍手が起こった。だがー「なんべん聞いても、おんなじや」。高齢の女性がつぶやいた、その言葉が誠の胸をえぐった。私ら被爆者に取材して何を描くというんだ。あんたが描けば何かが変わるんか” ”核の時代”に、芸術家は何を表現すべきか。誠はこの重大な主題にとりくもうとしていたのだ』

 続いて上野の生まれ・経歴・絵の主題が書かれていますが、再び原爆を描いた作品に戻り、リアリズムから画風を変化させていった過程を書いています。

”ここに掲載した「波止場」と比べてみよう。確かに「原子野」は、それまでの写実的な表現とかなり異なっている。暗黒に包まれた象徴的な表現が、画面を支配しているのだ。” ”もはや社会主義的なリアリズムでは共有できない痛み、苦しみ。そして、放射能のように不可視の恐怖が、私たちの時代を覆っている。希望はどこに・・・。連作「原子野」で誠が表現したのは、そんな光景だったのではないだろうか。”


             波止場                             原子野 A

 最後に植草記者はドイツの哲学者・音楽家テオドール・アドルノの「アウシュビッツ以後、詩は不可能である」と言う言葉に続けて
”私たちは、私たち自身を絶滅させるほどの暴力を行使する時代を招いてしまった。そんな時代に、詩や音楽や絵画が何の救いになるというのかー。 この問いとともに、芸術の”近代”は終りを告げたのかもしれない。だが、ヒロシマ・ナガサキ以後、芸術は本当に「不可能」なのだろうか。想ではない、と信じたい。不可視の恐怖を見据えようと、もがき続けた上野誠に倣って。”
と結んでいます。

 新聞や雑誌で上野誠が紹介されることは何回かありましたが、今回の記事は上野の芸術の魂にせまった最も優れた紹介だったと思います。

 新聞掲載後、何人かの友人から感想をいただきました。
Kさん  上野誠の紹介はありがたいが、美術館のことに全く触れられていないのは遺憾である。
Uさん  このようにまじめな紹介が新聞に載って大変うれしい。信濃毎日新聞を見直した。
Fさん  植草記者とはいぜん会ったことがある。そのときも大変真摯な取材をしたので好感を持っている
Nさん  せっかくいい内容の記事があるのだから、美術館の紹介ぐらいしてほしかった。

 


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