江田島から見た原爆の閃光   ー田嶋季晴さんの話ー   3月20日

 3月6日の憲法講座は田嶋季晴さんにお願いして「原爆を見た私の思い」という題でお話していただきました。田嶋さんは海軍兵学校最後の生徒で、終戦時には最高学年生でした。兵学校のある江田島はヒロシマからわずかのところにあるので原爆の閃光を体験されました。その話の概要をご覧ください。

  1、私の育った時代 

私が生まれたのは1927(昭和2)でした。昭和大恐慌が1929(4)ですから、大正デモクラシーの名残を残しつつも不況の時代に入った時期でした。小学校に入学したのは昭和八年でその年から「サイタ サイタ サクラガサイタ」という色刷りの教科書になりました。成長するに従って戦時色が強まり、私は中学4年から海軍兵学校に入学しました。

2、原爆の閃光

 三年生(1)の夏、午前中の授業で航空航法の講義を聴いていると古鷹山の中腹にすごい閃光が走りました。そして数秒後に爆風が来ました。みんなはそこに伏せましたが、後は何も起こりません。外に出てみると古鷹山の後ろから噴煙が上がりました。噴煙はいつまでたっても消えませんでした。あとでそのことについて「徳山の燃料庫が爆発した」とか「陸軍が特別の爆弾の実験をした」とかいろいろ言われましたが、そのうち比較的正確な情報が入りまして、ウラニウム235を使った爆弾が落ちたということがわかりました。これは大変だということで夏の真最中でしたが、皮膚を出すと火傷するからと、白い軍手をはめ軍足の先を切ったものを続きにはめて頭には白い風呂敷をかぶったりしました。数日後教官が広島に調査に行きました。帰ってきて報告を聞きました。「広島の爆心地には何もなくなってしまった。人影も家も何にも残っていない」とのことでした。教官はその後黄疸になりました。

3、敗戦と安堵感   

 それから間もなく終戦になり海軍兵学校は解散し出身地の都城市に列車を乗り継いだり歩いたりして3日かかって帰りました。駅という駅の周りは糞尿だらけで、近くの防空壕の中は糞尿でいっぱいになっていました。それを見て敗戦とはこういうことかと思いました。敗戦後は食糧難など大変でしたが、燈火管制も空襲警報もないことは、どこかで安堵感がありました。海軍兵学校の最後は毎日が死と直面する日々でした。私の兄は東京から硫黄島に行きました。兄が家に送ってきた最後の手紙は「野菜の種を送ってくれ」というものでした。食べるものがなく、自給自足で食べものをつくりたいという願いがわかります。それが最後でした。当時は誰もが死と直面していました。

4、限りない望みが生まれた憲法9条   

 昭和21113日に憲法公布、翌年53日に憲法発布となるのですが、当時は今ほど憲法を自分のものとして実感してはいなかったような気がしますが、第九条の戦争放棄、一切の軍備は持たないという宣言を見て、これでもう日本は戦争をしないですむ、という安堵感と、この平和憲法をかかげて、世界の中で生きていけるという限りない希望がわいてきました。

                5、憲法を実感させた「東電裁判」の勝利

私が憲法を実感したのは「東電裁判」が勝利したときからです。東電裁判というのは東京電力の職員が思想差別をされ、昇進差別、賃金差別はもとより、家族や子どもまでが差別されたことに対して闘った裁判です。この勝利の根拠になったのは憲法14条でした。私は東京大学大学院の修士課程を修了して長野市に就職しました。社会教育に携わり、人々の本当の自治が生きるような自治体を作る願いを持っていました。しかし、この願いは教育委員会からの配置転換などがあり、実現できませんでした。住民から引き離そうという狙いが見え見えの配転に対して、はらわたの煮えくり返る思いでしたが、ひたすら耐えました。だが、東京電力の人たちは闘いました。そして勝利しました。このとき私は「日本国憲法は私たちのものなのだ」「闘うことによって私たちのものにしなければならないのだ」と実感したのです。

 憲法
9条は骨抜きにされているといわれていますが、九条があるからイラクの自衛隊は戦闘行動をすることが出来ません。ここ一番のとき縛っているのが憲法9条です。それを思うと憲法9条の持つ意味は計り知れないと思います。私も皆さんたちとともにかけがえのない憲法を守るためにがんばりたいと思います。

 
 講義の後、コーヒーを飲みながら、田嶋さんを囲んで一時間ほど懇談しました。

   長野県は戦争の被害が直接は及ばなかった。原爆もそうだし基地もないから、どこか他人事になっているように思う。この場所での話はどうしても「同期の桜」のようになりがちだ。もっと若い人や子どもを育てている人に聞いてほしい話だった。

   ドイツには9条はないが戦争に対する反省は日本より徹底しているようだ。9条に寄りかかっているだけではだめだろう。

   最近の世論調査では「憲法を変えたい」という人が多かった。その理由として「今の時代に合わない」というものだった。その意見は私がこの学習会に参加する前と同じだ。うちの子どもの意見も同じだ。話せばわかると思うのだが、どのように話したらよいかが難しい。

   ドイツのキール軍港で起きた水兵の反乱は戦争をやめさせることだった。それに対して「男たちの大和」(映画)は対極をなしている。現状を肯定した上で、自分の生き方を考えているところはキール軍港の水兵と大きく違っている。

  ・  最近「男たちの大和」と「戦争と人間」を見る機会があった。「男たちの大和」は反戦映画ではない  が、戦争賛美ともいえない。「戦争と人間」は戦争に対してはっきりと批判している。だから、「男たち」
  はだめだともいえない。


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