「日本共産党」(筆坂秀世著)と一連の批判文を読んで  2006年4月22日

 平安堂で売っていた「日本共産党」(筆坂秀世著 新潮新書 4月20日発行)を読みました。
 書かれていたことはほとんどが予想通りでした。もちろん初めて知った事実もたくさんありましたが、大きな流れは予想通りでした。また、それに対する批判記事も読みましたがこれも予想通りでした。

 いくつか思うことがありましたが、ここで書きたいことは内容と同時に批判の仕方についてです。
 私はこの本を読みながら、「これからの共産党は情報化社会にあわせていかなければならないな」と思いました。情報化社会にあわせるとは、思い切った情報公開をするということです。

 なぜ、このようなことを考えたのかというと、今まで私は共産党の内部のことは「しんぶん赤旗」や幹部の話でしかわかりませんでした。たくさんの暴露本が出ていることは知っていましたし、何冊かの本も読みましたが、その内容は「共産党憎し」だけで、読むに耐えないものがほとんどでした。
 ところが、最近はメールやインターネットがありますから、さまざまな情報が私にも容易にわかるようになりました。たまたま、私もインターネットを使うようになったので、情報量は飛躍的に広がりました。そうしてみると、共産党に対して批判的な人の言い分もたちどころに見ることが出来ます。すると、今までわからなかった事実がはっきりとしてくることがあるのです。

 最近のことでいいますと、新社会党が日本共産党に「憲法改悪阻止の問題で、共闘のあり方について話し合いをもてないか」と申し込んだことがありました。これに対して共産党は半年たってから、話し合い拒否の回答をしました。「しんぶん赤旗」にその理由がいくつか載りました。
 以前の私なら、その文を見て納得したのですが、インターネットを見ると、この問題についてさまざまの論評が目に入るのです。例えば五十嵐仁教授の「転成仁語」にはこの対応について「話し合いすら拒否するとは」との題で厳しい批判が書かれていました。また、新社会党のホームページには共産党の対応に対する声明が載っております。私は両者を読み比べて見て判断できます。すると、一方だけしか読まなかったときとは別の結論がでるのです。このような経験を繰り返すなかで、両者の主張を読んだ上で判断することがいかに大切かと言うことがよくわかりました。

 恐らく、これからは私のような人間はますます増えるでしょう。インターネットを扱う人が増えればそれだけ情報が得やすくなり、今までわからなかった事実が、その気になれば誰でも簡単に知ることが出来るようになるからです。
 そうなったとき、共産党が説得力を持つのは、両者の主張を読んだ読者に納得できる論理を展開できるかどうかにかかるでしょう。残念ながら、現在の共産党は、ある種の分野での論文は著しく説得力に欠けると言わざるを得ません。

 文章についても同様なことがいえます。以前の私は、口を極めて罵倒すると「なるほどひどいやつだ」と思ったのですが、最近はむしろその反対で、あまりに罵倒するのを見るとしらけてしまいます。そして、「もっと穏やかに書けば説得力があるのに、このような書き方のために損をしているなあ」と思うのです。

 しんぶん赤旗に浜野忠夫副委員長が「筆坂自己批判書」を引用して批判していますが、一部分の引用ですから、読む人は「なんだ、相手をやっつけるのに都合のいいところだけを引用しているじゃないか」と思ってしまいます。それだけでなく,「自己批判書は人質のようなものだな。ひとたび共産党と対立し、意見が違ったときには、恣意的に部分を引用され全国に公開されるのだ。これでは共産党の人は中央に反対できないわけだ」と思われるでしょう。

更に言うならば、自己批判書を公開することに私は違和感を覚えます。自己批判とは信頼する仲間の内部でなされるもので、その関係がない中では行為そのものがありえないのですから、信頼関係がなくなった中でそれを用いるならば自己批判書は本来の役割を離れてしまうでしょう。裁判の証拠とは違うのですからそれを公開するなどと言うことは本来あってはならないと思います。そうすることが知恵ではないでしょうか。

最初私は「書かれていたことは予想通りだった」と書きましたが、それは「週刊新潮」の記事の延長に書かれていると予想し、その通りだったからです。

共産党に対する考えも、敵対というより「共産党をもっと強くしなければならない」と主張しているように見えました。

 次に、セクハラ問題については最初の姿勢を現在も認めているように見えました。これも予想通りでした。

 それが変化したのは彼に対する対応が変化してからのようです。最初の対応と次の対応が変化した事実については共産党も認めています。変化の理由は一番の対立点ですが、私には正確な事実はわかりません。ただ、共産党の批判論文(2005・9・22)に書かれていた「常任幹部会の規律担当者が規約の思い違いをしていた」という部分は不自然に感じました。なぜなら、担当常任幹部会員は規約を提案した当事者ですから、これほど大きな問題を思い違いするなどということは考えられませんし、そこにいたほかの常任幹部会員がそろってそれを認めたこともとても考えられないことだからです。すべての行き違い、不幸はここでのボタンのかけ違いから始まったように私は思いました。

 この本に書かれたことで予想外だったのは、宮本顕治元議長の引退についての裏話ですが、不破さんの文章を読むと、これは筆坂さんの大ミスのようにも思えます。もちろん本当のことはわかりませんが、論理的に見て不破さんの書いている内容のほうがはるかに説得力を持っています。マスコミは「宮本引退裏話」に興味があったのかもしれませんが、はっきりした確証がないまま、伝聞だけに頼り、このようなことを書くべきではないと思いました。有田さんは永田議員がメール問題を国会で取り上げた直後、根拠薄弱な追及は失敗すると指摘し、そのとおりになりました。もし、筆坂さんが書いたことが事実だとしたならば、いつかそれを裏付ける内容を書いてもらいたいものです。

 あとは筆坂さんの意見ですから、私なりの感想を書いてみます。

政党助成金問題は私の関心を惹きました。今まで政党助成金を受け取らないことを当然だと思ってきましたが、共産党がつくった「日本人民共和国憲法草案」に「人民は民主主義的な一切の言論、出版、集会、結社の自由をもち、労働争議および示威行進の完全な自由を認められる。この権利を保障するために民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし印刷所・用紙・公共建築物・通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供する」という項目があることを初めて知りました。この問題は今後考えていきたいと思います。

拉致問題については、詳しいことはわからないながら、共産党のとった態度を支持します。断定できる証拠がない中で拉致問題を追及するより、国交正常化交渉の中で拉致問題を含めて解決の努力をするという提案は理にかなったものでした。実際にその方向で進んだからこそ現在があったので、もしも拉致問題だけを取り上げていたとすれば、拉致被害者は誰一人帰って来れなかった可能性がおおきいと思います。

野党外交については、もともと私は否定的でしたので、共感を持って読みました。

いずれにしろ、これらの問題提起を含む筆坂さんの本をよみ、「党に敵対する立場を明確にした」文章だとか、「そんな活動などやめてしまえ、日本共産党には展望がないのだから、困難をおして活動してもむだだよ」と主張しているようには思えませんでした。


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