筆坂問題について 続    2006年5月10日

 筆坂秀世氏の著書が出てからさまざまな論評がされています。また、それを受けて「週刊朝日」に2度にわたって筆坂氏のインタビューが掲載されました。インタビュアーは有田芳生氏です。
 有田芳生氏は以前共産党発行の『文化評論』の記者でしたが、トラブルがあって、現在はフリージャーナリストとしてテレビで活躍している評論家です。一年ほど前、そのことをインターネットで知りました。

 はじめに『週刊朝日』の記事についての感想ですが、これは、ほとんどが『日本共産党』と重複しているので、内容については特に言いたいことはありません。注目したのは「見出し」と「取材のコメント」についてでした。

見出しは「赤い共産党の黒い内幕」と書かれていました。なんといういう汚い見出しでしょう。週刊新潮や週刊文春なら「さもありなん」と思うのですが、週刊朝日もこうなってしまったのですね。これには正直がっかりしました。えげつなく書けば書くほど売れるのでしょうか。売れれば書くのでしょうか。

 取材コメントについては5月15日付けの同誌に有田芳生氏が次のように書いています。
『(前略) 筆坂氏へのインタビュー対してしんぶん赤旗は(反論内容の検討という)メディアとしての基本作業を怠っている」と書いた。事実はどうだっただろうか。編集部は筆坂氏の発言の真偽を確かめるべく詳細な質問を提出した。それに対して共産党はこう答えた。「筆坂氏は党を裏切って反共活動をしている人物なので、その人物のインタビューに関する質問にお答えする必要はありません」。広報部とは、このような基本作業の申し出に協力する部署だと思っていたが、どうやら世間の常識とは違うようだ』

 これでは「共産党は何をやっているのか」となってしまいます。

 有田芳生氏がインタビューをしていることを知り疑問に思ったこともありました。
 たしか民主党の永田議員がライブドアから自民党の武部氏の息子に3000万円が振り込まれているというメールをかざして追及した時、その真実性を証明する根拠があいまいであり、これでは追及できないと、かなり厳しく批判していました。だとしたら、今回のインタビューを記事にする際、宮本顕治元議長引退に関する部分についても、その根拠を追及しても良かったのではないでしょうか。既に不破氏の反論が発表されているのですから、この部分については聞けるはずです。恐らく話されたはずですが、その部分についてのコメントは私には「いいわけ」に思えました。


 不破氏は今度の今度の筆坂氏への反論の中で、宮本顕治氏が引退する時の経過は「虚構と妄想」「ガセネタ」だと書いている。不破氏の政治闘争である。筆坂氏は党本部内で噂されていた宮本氏引退の「真相」をそのまま記述したのだった。
 ・・・・問題の核心は、宮本氏に引退を勧めたものの「一致した結論にいたるまでには、時間がかかった」と不破氏が当事者としてはじめて明らかにした部分である。そこにおいて不破氏から年齢などをあげて説得したことを直接聞いた筆坂氏の記述は間違っていない。
 いかにも苦しい弁明です。

 有田氏は「核心は、宮本氏に引退を勧めたものの『一致した結論にいたるまでには、時間がかかった』と不破氏が当事者としてはじめて明らかにした部分である」と書いていますが、読者が最も関心を持って読んだ箇所は大会中に会場を抜け出して宮本宅に行き、引退を説得したと言う部分でした。有田氏のコメントはこの部分には触れず、話の核心をすり変えてしまっています。

 松本の市議会議員池田国昭さんが「日本共産党」(筆坂著)についての感想を書いています。
全文は長くなるので書けませんが、引用中心の前半は省略し独自の視点で書かれた後半を抜粋すると


(前半省略)

  実は、この本が発行され話題になったとき、この本を直接読む前から、氏が、「前衛」(2004年12月号)に掲載した「拙論」を「発表するにあたって」の一文書に注目していた。
  氏は、そこでは、次のように述べている。

  「最初に、私の誤った行動によって党員や支持者のみなさんはもちろん、多くの国民のみなさんにご迷惑をおかけし、ご期待を裏切ったことをあらためて衷心よりお詫びするものです。」  
 
  ところが、それを覆す今回の本の内容である。    
  不破さんは、「ここまで落ちることができるのか」と書いたが、私にとっては、「あの『お詫び』の文書は何だったのか」という感じだ。  
 
  そして、その意味はこの本の次の部分を読む事で実によく解った。
  それは、「建前に過ぎない『自己批判』」と中見出しのついた次の部分からだ。(P104から)

 「しかし、そうそう簡単に自己批判をすることなど、本当に可能なのだろうか。自らの過ちを認めるというのは勇気がいることだ。その勇気を発揮し、誤りを自身の力で正していくわけだから、本当にそれができる人はたしかに素晴らしい人なのだと思う。しかし、自己批判なるものを突き詰めていくなら、それまでの自分の生き方、歩み、性格そのものを否定することにだってなりかねない。つまり自己否定、アイデンティティの否定にもつながりかねない危うさを持っているのである。」

 正に語るに落ちる部分だ。
 自らの論理矛盾、自己矛盾に気がついていないのだろうか。

 そして、その極めつけは、最後の部分=「自戒をこめて」の手前のP190の6行目からのの次の部分にある。
  「共産主義社会などまったく将来への展望がないのだから、無理をせずに、強がらずに普通に国民に好かれて、国民のために活躍する政党になればよいではないか。」

 さらに続いてその先に、なんと私が注目した前衛の文書がほぼそのまま、氏自らによって一番最後の締めくくりに引用されているではないか。
  さすがに気が咎めたのか表現が変わって、 「今後、いかなる道を歩むのか、私にもまだわからないが、この思いだけは手離してはならないと考えている。」となっている。  
  (前衛の原文では、「どういう分野で、どういう活動をすることになるのか」となっている。)

 セクハラの訴えは、「今もって不可解」とか、「二次被害」をいわば「セクハラの加害者」である自分への「被害」と、はきちがえるなど、自己中心主義もはなはだしい。

 「プライドを取り戻すため」と氏は書いているが、氏の歩んでいる「道」は、あまりにもあつかましく、人としての矜持を正に投げ捨てるものにしか見えないのだが。

 
 池田さんのメールを読み続けている私は、すごい人がいるものだと常々敬服していました。たとえそれが政敵に対する文であっても、相手に対する思いやり、全体への気配り、人間を一面で見るのでなくトータルに評価する目が感じられたからです。その基本には、相手の言わんとするところを正確に理解したうえで自分の意見を述べると言う謙虚さがあったと思います。

 この書評を読むと、いつもの論評の仕方と違い、感情がむき出しになっている部分が目に付きました。例えば「正に語るに落ちる部分だ」「そしてその極め付きは」「自己中心主義もはなはだしい」などですが、その部分についての本文の主旨がかなり省かれているので説得力が弱いように思いました。

 例えば、批判と自己批判についての部分ですが、引用されている筆坂氏の前半部分は中央委員会や大会のたびに目標を達成できなかった代議員が「自己批判」をくり返していることへの批判的感想です。後半は自分が自己批判をしたこととの関連で、自己批判に対する疑問が書かれていると見たほうが良いのではないでしょうか。

 「前衛」に書かれた自己批判に注目し、それと「日本共産党」に書いてある自己批判への疑問との矛盾を追及するというユニークな視点をもっと深くわかりやすく書いていただきたかったと思いました。
 
 現在の筆坂氏は共産党員でないのだから、誹謗中傷やうそでなければ何を言ってもかまわないと思います。特に政策や活動のあり方などについては自由に発言しても一向構わないのではないでしょうか。ただ、今回の著書については宮本顕治元議長引退の内幕のような箇所があるので、これについては大きな問題を残しました。

 人物評価ですが、私は「日本国憲法第9条を守ろうとしているかどうか」「弱者切捨ての政策をやめさせようとしているかどうか」「アメリカ従属の外交をやめさせアジアの国々との連帯を強めようとしているかどうか」などを基準に考えていますから、筆坂さんを敵とは思えないのです。共産党ではなくなったが、日本国憲法第9条は守りたいと思っていることは間違いないでしょう。


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