長野県知事選挙について      8月27日
ー田中康夫はなぜ負けたのかー

長野県知事選挙がおわり1ヶ月がたとうとしています。
知事選をめぐりいろんな意見が出されていますが、私のところにも何人かから意見が届いています。また、私も何人かと話しました。それらも踏まえながら私なりの思いを書いてみます。

1、選挙結果 
田中康夫 534,229 村井仁 612,725

2,予想以上の大差
私にとってこの結果は「予想以上の大差」でした。もっと接戦になると予想していましたから、8万近い票差は予想外でした。

3、田中知事はなぜ負けたのだろうか

・マスメディア(信濃毎日新聞他)が一貫して田中批判を続けたこと、県議会が田中敵視を続けたこと、連合をはじめいくつかの団体が反田中の姿勢を貫いたことがありますが、これはあらかじめわかっていたことで、今回の敗北の原因としては取り上げません。デマ宣伝に類することもあったようですが、これも予想されたことですから取り上げないことにします。

① 田中康夫氏の中に「絶対に負けるはずは無い」という県民世論の読み間違いがあったように思います。それは、選挙直前に「新党日本」の集会を東京で行い、そこの公認で出馬するかのような発言をしていたことでもわかります。そこには公認で出馬しても当選するはずだという自信が見えました。この姿勢は選挙戦に突入して、長野の事務所を構える際にも「金は使わず新党日本の事務所を使えばよい」、といった発言になっていたように思います。告示の直前になって無所属で出馬するということになりましたが、これには周囲からの発言もあったのではないかと推察しています。県民へのアピールも財政の建て直しを一番の中心にすえました。中央の評価は財政問題が一番高く評価されたようですが、県民の評価は必ずしも財政問題だけではなかったように思います。一部の利権集団と手を切ったことや県民との直接対応、弱者への思いやり、中央べったりでないことなど多方面の改革が行われたことが極めてわずかしか知られていなかったことを重視しても良かったと思います。

② 前回田中康夫氏を推した中心メンバーの多くは今回は田中氏の応援から手を引きました。八十二銀行の茅野實さんのように、はっきりと反対派を応援した人もたくさんいますが、前回の支持者の多くは選挙を外から眺める姿勢だったように思います。「村井が当選しては困るが、田中を積極的に応援することもない」と思っていた人がかなりいたのではないでしょうか。彼らの中にも根強い楽観論がありました。「田中康夫は前回のように楽勝とは行かないが、相手が村井仁のようなはっきりした旧勢力なら負けるはずはない」と思っていたようです。
 そのことが選挙体制に大きく影響しました。前回は選挙事務所に行くと人があふれるようにいて、指示を出す人が大声を張り上げている姿がありましたが、今回は人がいないのです。田中氏にとっては3回目の選挙になりますから、ビラ配布だとかポスター貼りなどはてきぱきと行われるはずなのですが、指示する側が今回初めてですからなかなかうまくいかなかったようです。そこへきて手足となってくれるボランティアがいませんから場所によってはビラなどは遅れてしまいました。個人演説会も長野市で3箇所で行われただけだそうです。そのうち、本人が出席したのは1箇所だけです。

 他人のことだからなんともいえないのですが、「田中は勝てるだろう」と楽観的な意見を言う人と話しながら、私は「本当に大丈夫なのかな?」という思いを持っていました。同時に、「これで勝ったとしたら、長野県民は県政を自分の頭で考えるようになった」と思いました。残念ながら長野県民はまだまだ利権集団や自分の属する団体の意見・締め付けから自由になっていなかったようです。当たり前ですよね。

③ 共産党は最初は自主投票と言っていましたが、次第に田中支持色を鮮明にして、最終的には全力で田中を応援しました。特に共産党県議団の動きは活発で、「長野県政を後戻りさせるな」の合言葉で吉村県政と田中県政の違いを精力的に報告してきました。共産党の「自主投票」は民主党や社民党の自主投票とは最初からニュアンスが違っており、「県政改革を後戻りさせるな」といっていましたから、「反村井」ははっきりしていました。だが、その姿勢が支持者の中では当初はっきりわからなかったようです。長野県政の早い時期から「支持」を表明していればもう少しは票が伸びたかもしれませんが、その伸びはたかが知れていたでしょう。それは共産党支持者の圧倒的多数が田中に投票していたという出口調査でも明らかです。

④ 共産党と親しい関係にある団体(明るい県政をつくる会)はさまざまな反応をしたようです。私も世話人をやっている革新懇などは先頭に立って田中支援の選挙をしましたが、高教組や県労連などの動きは鈍かったようです。総じて労働団体の動きは鈍く、市民団体・住民団体は活発な運動をしました。

⑤ 田中支持層の楽観論と並んでもう一つ敗因を挙げるとすると、田中康夫氏からは独立しつつ、なお且つ田中知事による県政改革を支える組織がなかったことだと思います。長い目で見たとき、敗北の一番の原因はここにありました。
「しなやか会」は田中言いなりの選挙応援組織であって、独自に県政を改革するための提案や行動をする組織ではありませんでした。県議会チェックフォーラムは本来ならば百条委員会設置や人事案件の否決などをチェックしなければならなかったにもかかわらず何一つ行動しませんでした。(ことによると、この組織は名前だけはあるものの実態はなくなってしまったのかもしれません)共産党は是々非々の態度をとり、時に応援はしましたが、基本的には独自行動でした。島田県議等は、基本的には田中応援団であり県政改革を独自に追求するというだけの力は持っていませんでした。
そんなときに、党派や団体を横断し、改革志向の市民を交えた「県政改革を推進する会」のような組織が機能していたら、田中県政の数年間はかなり様変わりしていたように思います。これは無いものねだりかも知れませんが、このような組織は田中時代だけではなくこれからも必要なのです。

⑥ インターネットの宣伝で反田中の勢いが増し、田中支持あるいは県政改革支持の勢いがなくなったのもここ1~2年の大きな特徴でした。例えば「田中追撃コラム」等のブログが活発(アクセスが1500~3000ほど)に書かれていたのに対し、県政改革支持のブログは極めて少数派になってしまいました。「K嬢の県政報告」は勢いがなくなり、とうとう閉じられてしまいましたし、「しなやか会」や「県政チェックフォーラム」はほとんど機能しなかったのは前に書いたとおりです。わずかに共産党県議のブログが機能していましたが、肝心の石坂千穂県議のブログは以前の面影を失ってしまいました。(毎日発行され、アクセスは1500~3000を超えていたのが、発行回数が月に1~2回になり、アクセスは200~300ぐらいに激減しました)。内容がすばらしく、党派を超えて愛読者がたくさんいたと聞いていましたが、実に残念なことでした。共産党のために言いたいのですが、ブログの意見を毎日書くということは、毎日宣伝チラシをその数だけ発行していると言うことですから、若者に対する影響は計り知れないでしょう。
(今回京都府から府議会議員に立候補した皆川朋枝さんは20代ですがブログの世界では有名人(カッシーニで昼食)で、もし彼女が当選したとすれば、ブログ時代の申し子となるでしょう)

以上ですが、私が決定的な原因だと思ったのは①、②、⑤です。皆様はどうお考えでしょうか。


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