自主投票について     8月7日

 長野県知事選挙に際し共産党長野県委員会は「党としては自主投票にする」という決定をし、一方で「県政改革を後戻りさせてはならない」というスローガンを掲げて選挙に臨んだ。

 新党日本の党首であり、長野県知事でもある田中康夫氏を政策協定なしで推薦することは無理だと思っている私は、この方針を「味のある方針だ」と高く評価したのだが、共産党の人のなかにはそのように思わない人がかなりいたようだ。

 「いったい共産党はどちらを応援するのだ?」「自主投票だからどちらに投票してもいいんだろう」中には「田中は気に入らないから村井に投票する」という人もいたそうだ。(途中までではあったようだが) また、「今回の選挙は上部からのノルマが無くて気楽な選挙だ」といってゆっくりしていた共産党員もいたということを聞いた。一番多かったのは「共産党は自主投票なのだから、自分は田中に投票するが、そのための応援もするつもり無い」というひとのようだった。

 だが、共産党の方針を素直に読めば「県政改革を後戻りさせない」というのだから、自民党や公明党が公然と応援しており、先ごろまで自民党の代議士で自民党長野県連委員長をした人物を推す訳が無いことぐらいはわかるはずだ。共産党を支持している人が国家公安委員長をし,国家の中枢の政策を推進した人物(イラク特措法、障害者自立支援法などを制定した当時の閣僚)を投票する気が知れない。

 共産党内ではかなり以前から「共産党は田中知事を推薦せよ」という声が浅川ダム問題に関わった人や市町村合併問題に関わった人の間に強かったようだ。また、田中知事に対する批判意見も県職員労組や教職員組合を中心に強かったようである。頻繁に行われた人事異動や高校再編問題など、その事情は良くわかるのだが、連合会長の近藤氏が中心になり、自民党や民主党をはじめさまざまの組織の間を飛び歩き,反田中以外の政策もないままに候補者選定に明け暮れたのを見れば、今回の知事選のおおよその構図は理解できたはずなのだ。

 私がこういう意見を述べるのを聞いて、ある先輩から「君は自主投票を馬鹿にほめるが、もし、共産党がもっと早い段階で田中支持をはっきりと打ち出していれば、田中票は増えたとは考えないか?」と突っ込まれた。「たしかにもっと増えたと思いますが、その数は1〜2万の増だと思います。出口調査では、共産党支持層はほとんど田中に投票していましたから、大勢に影響することは無かったのではないでしょうか」と答えた。もちろん本当のところはわからないが、たとえ共産党が早い時期に田中支持を打ち出したとしても、票数が劇的に変化したとは思えない。逆に、内部の不協和音が生まれた可能性も考えられるので、やはり共産党の選択は正しかったと思うのである。

 このような動きを見て私は「自主投票」と「共産党」について考えさせられた。

 共産党の「自主投票」の方針をみて「共産党はどちらを応援しているのだ、田中を応援すると表明しないからやりにくくて困る」とか「共産党の方針が自主投票だからあまり選挙活動をしなくて良いのだ」と思っていた共産党員は今回の選挙の意味を自分の頭で判断しなかったのではないだろうか。もっと言うならば、そういう党員は共産党の本部が「右向け」といえば右を向き「左向け」といえば左を向く人ではないかと思ってしまうのだ。

 もう二十年以上以前になるが佐久に住んでいたKさんが私に次のように言ったのを鮮やかに覚えている。
「俺たち共産党は、一つの方針でまとまって動いているが、それは我々全員の自主的な意思のまとまりなので、決して誰かに命令されているのではない。毛沢東の一語一語を金科玉条のごとく信奉している集団とはそこのところが決定的に違うのだ。だから、もしも宮本顕治が間違ったことを言えば明日にでも彼を追放するのが我々の組織なのだ」

 この言葉を聴いて私は驚き感激したのを覚えている。「そうだったのか。たしかに、そうでなければならないはずだ」

 それから二十数年たってこの文を書きながら「自主的な意志で集まった共産党員と言えども、いったん党員になると、自主よりも指示待ちになることもあるのだ。これは共産党のためにもよくないことではないか」などと思うこのごろである。
 


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