「先生」と動員旅費                9月24日
          −感覚の鈍化と堕落ー

 1、「先生」と呼ばれることのこそばゆさ
 信州大学教育学部2年のとき教育実習をしました。私の指導教官は小林義平先生でした。小林先生には私を含め3人の実習生が指導を受けました。実習も終りに近づいたある日、先生から食事に呼ばれました。先生のお宅に伺い、すき焼きをご馳走になったのですが、そのとき奥様は私たちに「先生、遠慮されずにもっとどうぞ」といって勧めてくださいました。当時は日本中が貧乏でしたし、私の家は更に貧乏だったので、このすき焼きが実においしかったことを覚えていますが、もっと強烈に覚えているのは奥様が私たち教生を「先生」と呼んだことでした。
 私たちは学生でしたし実習中の教生なのに、奥様は私たちを「先生」と呼んで話されました。私は「先生」と呼ばれるたびに、なんともこそばゆい思いがしたのを覚えています。私にとって先生とは自分を教えてくれる人を指していたのに、私が指導教官の奥様から先生と呼ばれることに対する違和感であり、こそばゆさでした。

 それから何年か後、私は学校に就職しました。すると、赴任した1日目から私は「先生」と呼ばれるようになりました。生徒から呼ばれるのならわかりますが、先輩の教師からそのように呼ばれるのはなんとも居心地の悪いものでした。
 ところが、最初はこの「先生」と呼ばれることがなんともこそばゆかったのですが、何年かたつうちに私は「先生」と呼ばれるのが当たり前になってしまいました。ときどきそのことに気づくことはありましたが、「これはこの職業に就いたものへの呼称だから、さんとか君と同じなんだ」と思ってこそばゆさを振り払っていました。

 学校を退職して現在の仕事を始めましたが、周りの何人かは今でも私を「先生」と呼んでいます。ところが、いつの間にかそのことを私はなんともおもわなくなっているのです。時々それに気づくのですが、しばらくたつと忘れてしまい、すっかり先生になっている自分に気づきはっとするこのごろです。私はいつの間にか言葉に対する新鮮な感覚を失ってしまったのです。いや、言葉に対する感覚ではなく、生活そのものの感覚を失っていたのかもしれません。

 2、「動員旅費」について

 私の初任地は塩田中学校でした。そこに勤めて間もないときのことです。勤務が終り上田へ出て街を歩いていると駅前にひとが集まり集会を開いていました。何の集会だったかは忘れてしまいましたが、私も共感できる内容の集会でした。近づいてみると同僚の先生の顔が見えたので一緒に話しているうちに集会は終りデモ行進が始まりました。私は同僚と話しながら一緒に歩き、デモの終りまで付き合いました。そこで、同僚と別れました。

 翌日のことです。職場長のT先生が朝会のあと、「昨日は動員ご苦労様でした」と集会の報告をした後で、「動員の順番ではありませんでしたが昨夜の集会に田島先生が参加し、デモまで参加してくれたので動員旅費をお払いしなければいけないと思います。評議員にお願いですが田島先生に動員票を書いてもらい支部に提出してください」と発表しました。私はそのことの意味がわかりませんでしたが、集会に参加するとお旅費をくれるらしいことはわかりました。
 私が上田の集会に参加したのは集会の主旨に賛同できたのと、同僚と話したかったのですから、旅費をもらう気など全くありませんでした。そこで、そのことを職場長のT先生に話したところ「組合主催の集会やデモに参加するときは旅費と日当が出ることになっている。他の人も旅費をもらっているのでそうしてくれ」と言われ、結局、後日その日の動員旅費と日当をもらいました。お金をもらったのはありがたかったのですが、そのことを素直には喜べませんでした。どこか胡散臭い思いをしながら旅費を受け取ったことを覚えています。

 それまで学生だった私は、安保条約改正反対などたくさんの集会・デモに参加してきましたが、参加して金をもらうなどということは一回もありませんでしたし、予想したこともありませんでした。ところが、学生時代と同じ主旨の集会でも就職して組合に入れば参加者は順番に出席し旅費と日当をもらうということを知りました。
 いま、ふり返って見ますと「職場から集会への参加が順番で割り当てられていたことや、参加者に動員旅費と日当が支払われていたこと」に疑問を持ったことは一般市民としては当たり前のことだったと思います。

 新任教師だった私は組合主催の集会に出席すると旅費・日当がもらえることを知らず、そのことを奇異に思っていたのですが、しばらくすると、それが当たり前に思うようになりました。たしかに、わざわざ遠いところから長野や松本の集会にバスに乗ったり自家用車で駆けつけてくるのですから、そのための実費を支払われるのは当然かもしれません。そうでなかったら、集会場から遠い職場の組合員は集会に出席するのが困難になります。

 そのことはわかるのですが、学生や一般の人は集会に出ても動員旅費はもらっていません。しかし彼等は集会に参加しデモ行進をしています。
 労働組合に入らなかったときは当たり前だった自腹を切っての集会参加やデモ行進参加が、組合に加入してからは動員旅費をもらうのが当たり前になっていました。これも、感覚の劣化、あるいは堕落のように思うこのごろです。

 組合主催の催しであってもそこへの参加はできるだけ動員という形でなく、自主参加と言う形に変えていくことが望ましいと思いますが、それでは参加する組合員がいなくなってしまうでしょうね。
 


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